高校2年生から不登校になって、大学受験を控える高校3年生になったあなたへ
不登校から大学受験はできるのか?
不登校だからといって大学受験をあきらめる必要はありません。不登校をしていても、通信高校に途中で転学したとしても、大学受験は十分に可能です。今は、受験の仕方が大きく3つあります。①総合型選抜(旧AO入試)、②学校推薦型選抜(指定校推薦・公募推薦)③一般入試の3つです。このうち、学校推薦型選抜では、受験に学校長の推薦が必要になるため、その際に、不登校をしたこと(出席日数)が影響して、推薦を受けられない、ということも可能性としてはあり得ます。
総合型選抜入試、一般入試は不登校の影響を考える必要はありません。総合型選抜については出願要件に、評定や英語の資格等が決められている場合はありますが、出席日数や転学したことを理由に出願を拒まれることはありません。
気を付けないといけないのは全ての入試に「卒業見込みのもの」という要件が含まれます。卒業することが求められます。
高校3年で卒業見込みがない場合はどうするべきか?
卒業見込みがない場合は、留年しないといけないのか?というとそういうことではありません。今は高卒認定試験が高校に在籍していながらも受験できます。3年生まで上がってきているのであれば、取得できている単位もあると思いますので、全部を受験する必要はないと思います。必要な単位を取って、高卒認定を受けることで、大学受験資格を得ることが出来ます。ただし、高校を卒業しないで高認試験に合格し、高校を中退した場合は「高校卒業」にはなりません。あくまでも「高校卒業者と同等の学力を備えた」ということを証明するだけで、その時点での学歴は「中卒」になります。
高認試験は、8月と11月の2回実施されます。この2回を逃すと、次年度ということになります。詳しくは文部科学省のページを参照ください。https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/
大学受験をすると決めたらやること
大学受験において大事なことは、大学で何を研究したいか?ということです。これがないと大学での学びが受け身となってしまいます。自分で立てた問いに基づいて仮説を立てて、その仮説を検証する。そして考察して、さらに問いを立て・・・ということが求められます。高校までのように、教科書にあることを学ぶような授業もありますが、多くは自分で学びのテーマをもって学問に取り組むことになります。大学を選ぶ際に特に次の3つは重要です。
①自分が取り組みたいことを明確にすること。②その取り組みたいことが実現できる大学・学部・学科がどこかを調べること。③その大学に足を運ぶこと。
①の自身が取り組みたいことがなければ、どうやって大学を選ぶのでしょうか?偏差値や大学や学部のイメージで選ぶのはとても危険です。大学では高校以上に自ら学ぶ、研究する姿勢が問われます。やりたくないことに時間と労力を費やすことは非常に辛い大学生活となります。
②についても同じです。いくら自分のやりたいことがあっても、それが入った大学でできなければ意味がありません。歴史に興味がある高校生が、文学部の史学科に合格しました。しかし、彼は別の大学に行くことにしました。そちらの大学の方が世間的に有名で偏差値が高いからです。ところがその大学では歴史の研究ができません。彼は、「自分と話の合う学生がいない」と、ややさみしい思いをしながら2時間以上かけて、その大学に通っています。
③については大学自体見てほしいのはもちろんですが、大学の周辺も見てほしいところです。地方から都会に出るとなると、大学の周辺がどんな街かも重要です。地図だけでは分からないです。また、実際に足を運ぶと、自分がどんなキャンパスライフを送るかを具体的にイメージし、受験に対するモチベーションアップにもつながります。今はどの大学もオープンキャンパスの情報を積極的に発信しています。行きたい大学があれば、ぜひチェックしてください。特に総合型選抜を受ける場合は「オープンキャンパスに来ましたか?」は面接で問われる可能性のある質問です。
大学に合格して一番怖いミスマッチ
入学して「これは違った」というミスマッチが起きると、通うこと自体が億劫になります。不登校を経験した人であると、「また、行きたくなくなった」と自分を責めてしまいます。そして「自分は社会に適応できない」とネガティブなレッテルを張ってしまって、余計に落ち込んでしまいます。
大学には不登校はありません。大学に行けなくなる=単位が取れないということになり、単位が取れなければ留年、留年を繰り返せば退学ということになります。そうならないためには、自分の興味関心や取り組みたいことなど、自分自身の内発的な思いから大学・学部・学科を選ぶことです。
仮に卒業にこぎつけたとしても、多額の学費をつぎ込んで自分の将来に益にならない(と考えてしまう)学問に身を浸すことになります。成績が振るわず、大学でも友人ができない、なんてこともあります。そうすると就職活動で尋ねられる「ガクチカ(学生時代に力を入れて取り組んだことを大学生が略して言うことば)」において語ることがたいしてないということになります。
自分を卑下しないこと
不登校している高校生の多くは「自分は不登校している(した)から」と自らを低く評価する傾向にあります。そのことをずっと負い目に思い続けることはあまり意味がありません。大学側は不登校していてもしていなくても、研究したいことがある学生を歓迎してくれます。その思いがあれば、総合型選抜の面接でも語ることが出てきますし、一般入試の大変な勉強にも気持ちが乗ります。受験資格があり、取り組みたいことは明確であれば後はやるだけです。
また、「大学4年間やっていけるだろうか?」という継続に対する不安も持っています。確かに、中学、高校と不登校したということで自身を失うこともあると思います。これについては、自分1人でやろうと気負わないことです。大学では仲間ができます。しかも、取り組みたいものが似通っている人と出会えます。自分よりもすごいひと、面白い人、ちょっと変わった人など多様な人との出会いのなかで、支えられて4年間過ごすことになります。「コミュ力がない」と自認するなら、「コミュ力がない」自分をそのまま出せるところでもあります。その自分と付き合ってくれる人と仲良くすることになります。それが一生の付き合いの友人になる可能性も十分にあります。
自分を卑下することはいったん脇において、自分の将来を思いっきり描いてみてください。
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不登校やキャリア教育に関するコラム
勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス
📘 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス
こんにちは。ビジョナリーキャリアアカデミーのカウンセラー、大久保です。このコラムでは、不登校になり勉強に関心を失っていた中学生が、どうやって再び「勉強したい」と思えるようになったのか。その変化の背景を、カウンセラーの立場からわかりやすくお伝えします。
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
不登校になると、なぜ勉強が嫌いになるのか?
不登校の子どもたちの多くは、「勉強が嫌い」「やる意味がわからない」と口にします。でも実は、「やらなければいけないと思っているのに、できない自分がつらい」という葛藤を抱えていることが少なくありません。
中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。
変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと
ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。
でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。
雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽
きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。
でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。
勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ
「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。
「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。
まとめとひとこと
勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。
💬 今日のひとこと(格言)
「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」
― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)
文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。
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2025年4月22日
勉強・進路と将来の不安
親として、どこまで関わるべき?春の“ちょうどいい距離”の話
親として、どこまで関わるべき?春の“ちょうどいい距離”の話
2025年4月21日配信
新学期が始まり、生活のリズムが少しずつ整ってきた頃。でも、なんとなく不安定な子どもの様子に、つい心がざわついてしまう。そんな今だからこそ、あらためて“親子の距離感”について考えてみませんか?
春の始まり、親の心は揺れやすい
新学期が始まり、少しずつ日常のペースが戻ってくる頃。その一方で、子どもの様子に一喜一憂し、
「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。
距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し
そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。
「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、
本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。
でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。
子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。
だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。
まずは自分の「心配」をやさしく見つめる
カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、
“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。
私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。
特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。
近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。
そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。
今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、
まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。
不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。
ちょうどいい距離は、自分の中にある
近づきすぎず、離れすぎず。
親子の距離は「正解」があるわけではありません。
でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。
そして、こんな言葉もあります。
“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。”
― 小児科医・毛利子来
文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。
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