不登校・ひきこもり状態が峠を越えるとき
意思表示ができるかどうか
学校で不登校対応をしているときに「君はどうしたいんだ?」と尋ねても「わからない」と答える人が少なからずいます。
学校に行きたいのか行きたくないのか、行きたいけどいけないのか、行きたくないけど来ているのか、行きたくないからこないのか・・・子どもの意思によって対応のしかたは変わります。
しかし、意思表示ができる状態になっていないうちにこれからどうしたいのかを尋ねられるのは子どもにとって結構つらいことです。
自分のことなのに自分でも決められない・・・学校に行けていないだけでも落ち込みがあるのに、ましてや自分自身のことも決められないとなると、余計に落ち込んでしまいます。
子どもが意思表示をするまえにすること
子どもが明確な意思表示をする前は、部屋にこもったり、家族と口を利かなかったりします。生活習慣も乱れ、どう接してよいかわからない、という状態に陥ります。親としては一番心配な状態がこれです。
「この状態がいつまで続くのか」、「このまま何年も引きこもってしまうのではないか?」ということが頭をよぎり親自身が震えるときでもあります。
この引きこもっているときには子どもさん自身はとても葛藤を覚えています。これまでは親に対して従順に従っていた自分が、親に反発を覚えている。
しかし、自身がないから「自分の意思」というものを示せない。だからといって親の言いなりにもなりたくないし、自分の意思に反して生きていくことはもっとやりたくない。この葛藤状態が不機嫌さにも、疲れにもつながりさえない表情の日々を過ごします。
自分の意思を表明する覚悟と、どういう言葉で表現するのかの言葉を紡ぐときでもあります。
こもっているときは自分に集中したいとき
中高生が差し掛かる思春期とは生まれ変わる時期ともいわれます。子どもから大人になり、自我、アイデンティティの確立が起きるときです。引きこもっているときというのは、本人は生みの苦しみのただなかにいます。外に出たい意思と、このままこもっていたい意思が葛藤して苦しんでいます。そこには恐怖や不安もあります。
そういう葛藤状態にあるときに「あーしろ、こーしろ」と言われたり、たびたび「どうするの?」と尋ねられることは余計に混乱することになります。「自分で決めたい」「自分で考えたいときです」
この状況をお子さん本人が理解して「何も言わないでほしい」と言える場合もありますが、多くの場合はそれはできません。本人もなんでこんなに苦しまないといけないのかわかっていない場合がほとんどです。
ですから、周りにいる人間は見守るしかありません。
しかし、ある日、「私」「僕」「おれ」などを主語として語れるようになったら一つ山を越えているとも言えます。
はじめは自信がなく、中身としては突拍子もない浅はかな考えかもしれません。しかし、この時に葛藤を乗り越えて表明した勇気にたいして賞賛と感謝を述べられると、子どもの状態は落ち込んでいる、暗い状況から抜け出します。
お子さんを信頼する
不登校のお子さんだけではなく、思春期の中高生世代は、危なっかしくて、心配なことが多いと思います。偉そうなことを言う割には大したことはできないというのもあります。心配な面はたくさんあります。
親がその心配を抱えたままかかわるとお子さんには心配が伝わります。この「ぱ」を「ら」に変える、つまり心配を信頼に変えると、普段の接し方、言葉がけが変わってきます。
信頼に足る要素はたくさんあります。しかしながら、目の前の問題に向き合っているときには、視野も狭まり、普段よりも冷静でなくなっています。「どうしたらいいんだ」という焦る気持ちが先立ちます。そういう時に、カウンセリングで話をする。
すると知っているけど見えていない要素に気づき、親の心配が信頼に変えられていきます。お子さんのカウンセリングができない場合は親御さんにカウンセリングすすめています。
それは私たちカウンセラーが子どもに安心を伝えるのではなく、親御さんが安心すればその安心がそのままお子さんに伝わるからです。
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不登校やキャリア教育に関するコラム
勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス
📘 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス
こんにちは。ビジョナリーキャリアアカデミーのカウンセラー、大久保です。このコラムでは、不登校になり勉強に関心を失っていた中学生が、どうやって再び「勉強したい」と思えるようになったのか。その変化の背景を、カウンセラーの立場からわかりやすくお伝えします。
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
不登校になると、なぜ勉強が嫌いになるのか?
不登校の子どもたちの多くは、「勉強が嫌い」「やる意味がわからない」と口にします。でも実は、「やらなければいけないと思っているのに、できない自分がつらい」という葛藤を抱えていることが少なくありません。
中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。
変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと
ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。
でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。
雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽
きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。
でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。
勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ
「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。
「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。
まとめとひとこと
勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。
💬 今日のひとこと(格言)
「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」
― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)
文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。
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2025年4月22日
勉強・進路と将来の不安
親として、どこまで関わるべき?春の“ちょうどいい距離”の話
親として、どこまで関わるべき?春の“ちょうどいい距離”の話
2025年4月21日配信
新学期が始まり、生活のリズムが少しずつ整ってきた頃。でも、なんとなく不安定な子どもの様子に、つい心がざわついてしまう。そんな今だからこそ、あらためて“親子の距離感”について考えてみませんか?
春の始まり、親の心は揺れやすい
新学期が始まり、少しずつ日常のペースが戻ってくる頃。その一方で、子どもの様子に一喜一憂し、
「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。
距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し
そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。
「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、
本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。
でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。
子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。
だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。
まずは自分の「心配」をやさしく見つめる
カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、
“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。
私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。
特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。
近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。
そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。
今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、
まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。
不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。
ちょうどいい距離は、自分の中にある
近づきすぎず、離れすぎず。
親子の距離は「正解」があるわけではありません。
でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。
そして、こんな言葉もあります。
“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。”
― 小児科医・毛利子来
文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。
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