親の心構え・親の自己理解と心の整え方 | 不登校サポート | 家庭と子どもの再スタートを応援します

親の心構え・親の自己理解と心の整え方

子どもに課題があると親自身もまいってしまいます。そうならないために、またはなってしまった場合に、親自身が自分の気持ちを大事にしつつ、心を整えていく必要があります。お子さんのケアには欠かせない親自身の自己理解にも触れます。

お子さんへの対応を上手くできない自分を責めないでください!

お子さんへの対応を上手くできない自分を責めないでください! 正解を求めて、子どもへの対応を学ぶと辛い?

お子さんが、不登校や学校に生き渋るようになって、「どう対応したらよいか?」を悩んで、ネットを調べたり、学校のカウンセラーに相談したりすることがあります。そうすると、

・話を聴いてお子さんの思いを受け止める・良いところを見つけてお子さんをほめる・学校のことはわきに置いて雑談する(無理に学校にいかせようとしない)

と言ったことを助言されます。最初のうちは「そうか、やってみよう」ということになりますが、生き渋る期間が長くなったり、学校に行かない日々がつづくと「本当にこれで良くなるの?」と思ってしまいます。そのうちだんだん、嫌気がさしてくることもあります。

間違ったことを言っているわけではないが・・・

お子さんの話を聴くこと、お子さんをほめること、雑談をすることなどは、私もよく言います。ただ、それができないことや、やってみたけどうまくいかないこともあります。

すでに「そんなことは知っているんですけど」という顔をされることもあります。不登校になったお子さんへの対応としては間違ってはいません。

お子さんに対して「〇〇してあげてください」と助言するのは難しくありませんが、実際にその当事者であるお子さんを前にして、親御さんができるか?と言われるとなかなか難しいです。しかも、一生懸命にお子さんに関わろうとする人ほど「助言をもらったのにできなかった」とご自身を責める傾向にあります。

しかし、大事なのはその助言に従ってお子さんに関わる、お母さま、お父さまの気持ちに目が向いているのか?というところです。

お子さんにできないときは、自分がしてもらうとき

たとえば、話を聴くということについて、お子さんの話を最後まで聴くことができない、というのは、自分の方が聴いてもらいたいことがある場合があります。相手の言い分が身勝手で、まったくもって配慮に欠けたものだとすると、イライラして「いい加減にしなさい」と言い返してしまいたくもなります。(ここで言い返すとせっかく話してくれている、という現実があるのに、関係性に緊張感が生まれて台無しです)

仮に言葉にしなくても、子どもの方は「なんかお母さん、イライラしているな」と感じて話そうと思っていたことも話せなくなることもあります。

人の話が聴けないときは、自分が聴いてもらいたいときなのです。

コップにいっぱい水が入っているとそれ以上、入れることはできません。これと同じで自分の中に話したいことがあるときは、それ以上入りません。むしろ、あふれてこぼれてしまいます。そうならないために、自分の頭の中にある思いを外に出す場をもつことはとても大事なことなのです。

「できないから駄目」ではなくて、「できない状態にある」だけである。

話を聴くにしろ、ほめるにしろ、お子さんに関わっていて「もう無理だな」とおもったら、無理をせずに、話をしたり、ほめてもらう場面を作ることが大事です。

カウンセリングでは話を伺い、その方がお気づきでない、できている点を承認することはあります。また、不登校の親の会などのあつまりで同じような境遇にある人、かつてそうだった人に話を聴いてもらい、共感を得ることで力を得ることもできます。

助言を受けたことを上手く対処できないときは、自分をダメだとたたくのではなく「今はそれができない状態である」という認識のもとに、できるようになるために、自分を整えることが大事です。

助言を受けにいき素直にそれを実践しようとされただけでも素晴らしいわけです。そしてそれがうまくいかないな~と感じたら、今は自分がかかわってもらう状態なんだ、と気づいていただければ、自分を責めることを減らせます。

どうか、「できないからダメ」と決めつけてご自身を責めることがないように。

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不登校の解決に向けたメルマガを読む 不登校やキャリア教育に関するコラム 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス 📘 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス

こんにちは。ビジョナリーキャリアアカデミーのカウンセラー、大久保です。このコラムでは、不登校になり勉強に関心を失っていた中学生が、どうやって再び「勉強したい」と思えるようになったのか。その変化の背景を、カウンセラーの立場からわかりやすくお伝えします。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

不登校になると、なぜ勉強が嫌いになるのか?

不登校の子どもたちの多くは、「勉強が嫌い」「やる意味がわからない」と口にします。でも実は、「やらなければいけないと思っているのに、できない自分がつらい」という葛藤を抱えていることが少なくありません。

中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。

変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。

でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。

雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。

でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。

勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ

「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。

「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。

まとめとひとこと

勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。

💬 今日のひとこと(格言)

「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」

― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)

文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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2025年4月21日配信

新学期が始まり、生活のリズムが少しずつ整ってきた頃。でも、なんとなく不安定な子どもの様子に、つい心がざわついてしまう。そんな今だからこそ、あらためて“親子の距離感”について考えてみませんか?

春の始まり、親の心は揺れやすい

新学期が始まり、少しずつ日常のペースが戻ってくる頃。その一方で、子どもの様子に一喜一憂し、

「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。

距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し

そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。

「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、

本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。

でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。

子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、

“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。

私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。

特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。

近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。

そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。

今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、

まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。

そして、こんな言葉もあります。

“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。” ― 小児科医・毛利子来

文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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不登校しているお子さんを持つ親がとるべき最も必要な対応

不登校しているお子さんを持つ親にとって最も重要な対応とは? 不登校対応で求められるものは?

不登校の対応を調べて、行動することよりも、実は難しいのが「待つこと」です。何もしないでじっと待っている、というのは、自分が「何もしていない、子どもが大変なのに、サボっている」人間のようで嫌かもしれません。しかし、この「待つこと」を覚悟を決めて、子どもの様子を見ていると、そこには何らかの変化があることを見ることができます。不登校中に起こる変化は、必ずしも望ましいものではないかもしれません(昼夜逆転、食事をしない、ゲームやネットにハマる・・・など)ただ、これもプロセスとして起こりやすいことです。この様子を待ち続けると、今度は子どもの方が「親の対応が変わったぞ」ということで考え始めます。子どもが何かを言い出すまで、動き出すまでは相当に大変なことですが、ここをこらえないことには、不登校の根本的な問題は解決しないと言えます。ちなみに不登校の根本的な問題とは、子どもの自立です。

待つことによる変容

哲学者の鷲田清一さんの『待つということ』からの引用です。

「ぼくも学校に通うのが嫌だったり会社をやめたかったときなどに、学校の敷地内や会社の近くの公園にお気に入りの場所を作り、ある期間、折があればそこに出向いて、あ足元を歩く鳩なんかをみながら、ふやけた姿勢で茫然と座っていたという経験がありますが、そんなときには、悩んでいてもらちがあかないことに嫌気がさして、いったん何事かを放棄し、新たな構えを作るというか、決心の訪れを待っていたような気もします。(中略)決心にも、『する』のではなく、『待つ』の一面があるのかもしれません。何事かを捨てて空虚な場所をつくり、水が満ちてくるように何かがやってくるのを『待つ』とでもいうか。全部を本当に捨てることは不可能ですから、からだを退避させることで、象徴的に捨てていたに過ぎないでしょうけれども。」

この文は鷲田清一さんの編集者の方が鷲田さんに宛てた手紙にあったそうです。

何かをするということは、結果として焦りをもたらします。そしてその焦りは、次の段階へいく構えを作ることをせずに、どんどん行動させられてしまうことになり、結果として疲れてしまいます。

不登校のご相談に来られる方の多くは、これまでいろんな対応を試みたが思ったような効果がでなかったと、疲れている親御さんです。

不登校を一種の病理と捉えてみる。

風邪も腹痛も何もしないで、身体の機能に任せて治るのを待つ姿勢、が基本的にあるから感知するんだろうと思います。もちろん服薬等もありますが、基本的には休むということは病気がなくなって、からだが回復するのを待つということです。数日待っていると治ります。不登校を病気と同じようにとらえると、自分の力で何かを「する」のではなく「待つ」ということも一つの対応として有効です。

学校にも行かず、担任とも話をしない、カウンセリングも受けない。フリースクールをすすめても見向きもしない。そんな中学生の親御さんが、不登校解決に奔走するのをやめて、この「待つ」を実践されました。日々普通に暮らして、会話をして、時に一緒に出掛ける。するとある日お子さんが「考えていることがあるんだ」と話をしてきました。そこから、事態は変化していきました。お子さんが自身の考えを言葉にするまでに、半年近くかかったそうです。家の手伝いも始めて、冬場は雪かき(雪国にお住まいだったので)をしたり、洗濯ものを取り込んだり、掃除をしたりするようになったそうです。彼の考えは農業に従事することだったようで、そこから農業の勉強を始めました。

子どもの自立に向けて必要だと分かっていても・・・

実はこの「待つ」というのは非常に難しく、上述のように自責の念に駆られますし、このまま放っておいて良くなるとはとても思えない状況があります。ただ、何かをやっても良くなる保証はありません。むしろ、最も身近な大人である親御さんが、社会に出ることを前向きにとらえて、お仕事をしたり、趣味を楽しんでいる背中を見せるほうが、よっぽど励みになります。不登校しているお子さんは「学校に行けない自分は社会に不適応な存在だ」と決めつけているところがあります。この決めつけを外すには「親が楽しそうだな」ということを言葉で伝えるのではなく、感じ取ってもらう必要があります。「待つ」ということは言い換えると「背中で語る」ということになるかもしれません。「君は大丈夫だ」「社会に出てやっていくことができる」という前向きなメッセージを背中から発してお子さんに届けてみてください。「待つ」ということにあえてもう一つ付け加えるならお子さんのことを「信じて」待つということです。

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中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。

変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。

でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。

雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。

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勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。

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「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」

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そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。

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本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。

でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。

子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

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今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、

まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。

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うちの子が不登校になったのは、子育ての失敗でしょうか?

「うちの子が不登校になりました。子育ての何が良くなかったのでしょうか?」 不登校と子育ての関係

お子さんが不登校になったというお問合せで、以前よく受けていたご質問が、不登校と子育ての関係です。

すごく落ち込んで、暗い表情をした女性が相談にやってきました。お子さんが中学生になってからぱったりと学校に行かなくなった、というのでお困りでした。学校から紹介されたカウンセラー(スクールカウンセラーとは別の方のようでした)に事情を話すと、過去の子育てを振り返りました。その女性は、不登校になったお子さんが2歳のときに、2か月ほど病気で入院され、退院された後もリハビリ等の関係で、彼女の実家にお子さんを預けていたというのです。紹介されたそのカウンセラーは「そのとき一人になったさみしさがあるから、お子さんは不登校になったんですよ。その時のことをお子さんに謝りなさい」と助言されて、その通りにお子さんに「一人にさせて悪かった、ごめんなさい」と謝罪したそうです。しかし、当のお子さんは「何のこと?」というくらいきょとんとした表情で、お母さんを見つめていました。お子さんが言うには、2歳の頃のことはよく覚えていないけど、おじいちゃんとおばあちゃん、当時はお母さんの妹さんもい結婚前で家にいらっしゃって随分とかわいがられた楽しいじきだった、と記憶しているというのです。

子育てのこと、しかも幼少期のことを詫びることは、不登校の対応としては全く意味がありません。そもそも私は、不登校になった要因を子育てに見ること自体それほど重要だとは考えません。効果のないアドバイスを受けて、これからどうしようかということで困られて相談に来られたのです。

子育てに負け組はいない

私も、私の先輩のカウンセラーも講演なんかで話をするのは「子育てに負け組はいない」ということです。前出の女性も、やりたくて子どもを一人にして実家に預けたわけではなく、病気となり入院せざるを得ないという状況があったからやむなくそうしたわけではありません。虐待ではないのです。子育てを振り返ればもっとかまってやればよかった、と思うことはあります。しかし、そこを一緒に過ごして子どもにかまってあげたから、不登校にならないかというとそういうわけではありません。

その時その時で全力でお子さんのことを想って育ててきたのであればそれで十分なのです。子育てには勝ちも負けも、成功も失敗もないのです。単にお子さんが安心、安全を覚えて育ち、あとは自分で人生を切り開いていきます。

不登校の原因は子育てよりももっと別なところにあります

不登校の原因は人によって様々ですが、子育てだけにその原因を求めると、前述のようなとんちんかんなアドバイスをすることになります。親でなく、子に焦点を当てることが大事です。

不登校しているお子さんは自分の生き方や将来に関する、深くて重い問いと戦うことになります。自立のプロセスとして、学校に行かないとできないくらい自分というものを見つめることになるのです。学校に行きながら、または学校に行くことで自分と向き合えるお子さんもいらっしゃいますが、不登校しているお子さんの多くは感受性が強く、外からの情報がない環境で、「自分」を見ていきたいと無意識的に選択しているところがあります。言い換えれば不登校はお子さんが自立するプロセスとしてあらわれる一つの現象です。

もしここで子育てを不登校の解決に持ってくると子どもの自立を阻むことになります。お気づきかとお思いますが、子育ては「親が子に対する関わり」です。この要素は言い換えれば子どもへの支配ともなります。この親の支配から逃れる手続きとして不登校を選択しているお子さんにたいしては、「子どもの人生は子どものものである」という認識と、「あなたの選択を尊重する」という一人の人格にたいする敬意が必要になります。

何が愛情かは子どもが決める

愛情不足だから不登校になった、という考え方はあまり建設的ではありません。もちろん、子どもさんが家にいて何もしないでいるのを見れば心配ですし、これからどうなるんだろうかという不安もあります。だから一緒にいて、寄り添うということは大切です。しかし、その際に「子育てのやり直し」と考えるのではなく、自立のサポートとして接していくことが重要です。愛情不足だから愛情を示すということはそれほど考えなくてよいです。

日本屈指の愛着障害の専門家の米澤好史先生は「愛情とは与えるものではなく、こどもが『大人とのかかわりから、感じ取るもの』」と書籍に記されています。

お子さんに対する信頼、将来の自立に向けた寄り添いが、結果として、お子さんにとっては愛情として伝わるのです。何を愛情として受け取るか。そこさえもお子さんに委ねて接して差し上げてください。不登校はプロセスで、結果ではありません。必ず終わりがきます。

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変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

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雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

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子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、

“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。

私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。

特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。

近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。

そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。

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まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

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不登校のお子さんにかかわるときに 親が持つべき最も必要な心構え​

不登校のお子さんにかかわるときに親が持つべき最も必要な心構え 言葉のかけ方よりも大切な心構え

不登校のお子さんを持つ保護者の方から受ける質問の中にある、「なんと言葉をかけたらよいでしょうか?」というものがあります。状況に応じていろんな言葉をかけることができます。しかし、お子さんへの優しく、受容的な言葉のかけ方をいくつ暗記してもあまり意味はありません。それ以上に大切なのは、どういう思いで言葉をかけたり、接したりしているか、ということです。

親の思いはすぐに見破られてしまう

子どもさんにたいして、学校に行かせたい、勉強させたい、という思いがあるままで「学校に行かなくても大丈夫」とか「学校に行っても行かなくても私にとって大事なこども」という言葉をかけても、子どもはその言葉の背後にある思いを見破ります。

不登校しているお子さんは、感受性がするどく、表情や言葉のトーンなんかを敏感に察知します。察知しすぎるからこそ、しんどい思いをして学校に行きつづけて、休まざるを得ないくらい消耗しているとも言えます。言葉だけを変えてもうまくいきません。

大切なのは、子どもへの信頼

不登校しているお子さんは、心配な存在です。勉強もしない、人ともつながりがない、進路も決まらないとなると、どこから心配して良いのかすら分からないくらい辛い気持ちになります。そして、あれこれと手をまわして、教材をあてがったり、塾を提案したり、カウンセラーや医者に引き合わせようとしたりします。それ自体は決して悪いことではありません。進めてもらっても大丈夫です。ただしその根本においてほしいのは「心配」ではなく「信頼」です。

お子さんに対する信頼、「今は不登校して家にいるけど、必ず自分で立ち上がって、次のステップに進むことができる」という確信をもって接して差し上げることです。

言葉がけよりも、信頼されている気持ちが嬉しい

子どもにしてみれば心配されることは、「自分はダメな人間だ」とネガティブにとらえてしまう可能性があります。それとは逆に「あなたは大丈夫だもんね」と言葉にはしない思いをいだいて、日々接していくことで、子どもさんの心根にエネルギーを与えることになり、結果として、立ち上がって何らかの行動を起こすきっかけになります。無理に引き起こさなくても、必ずお子さんは立ち上がります。そこへの信頼を持ち続ける忍耐は確かに大変です。しかし、お子さんにして見れば、その忍耐こそが自分が抱える不登校という重荷を一緒に背負ってもらえている気持ちになり、心強いサポートを感じることになります。

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不登校の解決に向けたメルマガを読む 不登校やキャリア教育に関するコラム 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス 📘 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス

こんにちは。ビジョナリーキャリアアカデミーのカウンセラー、大久保です。このコラムでは、不登校になり勉強に関心を失っていた中学生が、どうやって再び「勉強したい」と思えるようになったのか。その変化の背景を、カウンセラーの立場からわかりやすくお伝えします。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

不登校になると、なぜ勉強が嫌いになるのか?

不登校の子どもたちの多くは、「勉強が嫌い」「やる意味がわからない」と口にします。でも実は、「やらなければいけないと思っているのに、できない自分がつらい」という葛藤を抱えていることが少なくありません。

中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。

変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。

でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。

雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。

でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。

勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ

「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。

「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。

まとめとひとこと

勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。

💬 今日のひとこと(格言)

「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」

― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)

文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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2025年4月21日配信

新学期が始まり、生活のリズムが少しずつ整ってきた頃。でも、なんとなく不安定な子どもの様子に、つい心がざわついてしまう。そんな今だからこそ、あらためて“親子の距離感”について考えてみませんか?

春の始まり、親の心は揺れやすい

新学期が始まり、少しずつ日常のペースが戻ってくる頃。その一方で、子どもの様子に一喜一憂し、

「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。

距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し

そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。

「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、

本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。

でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。

子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、

“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。

私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。

特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。

近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。

そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。

今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、

まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。

そして、こんな言葉もあります。

“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。” ― 小児科医・毛利子来

文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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不登校のお子さんに関わる心のゆとりをつくるために

不登校のお子さんに関わる心のゆとりをつくるために 電気代がもったいない・・・気がする

さて、7月になり、暑い日が続くようになりました。

屋内ではエアコンを作動させる機会も増えましたが、今年は電気代が値上がりして、家計のことを考えるとちょっとでも節約したいというお気持ちもあるのではないでしょうか。

子どもが家にいなければ、昼間はみんな留守だからエアコンをつけておく必要もないわけですが、不登校のお子さんはなかなか外に出たがりません。かと言って、熱中症で倒れられても困るわけですから、エアコンをつけないわけにはいかないわけです。

アドバイス通りのかかわりは難しい

エアコンに限らず、不登校していることで、フリースクールに入会したり、通信教材を取り寄せたり、家庭教師を依頼したりと、学校に行ってくれさえいればかからなかった費用が発生します。医療や、カウンセリングもその一つです。

金銭面を考えてみてもかなり損をした気持ちになります。悩みは尽きないというわけです。

一方で、医者やスクールカウンセラーからは「今は大事な時なので、刺激するようなことは言わないように」とか「丁寧に接してあげてください」などといった、親が子どもを受容しないといけないアドバイスを受けます。心にゆとりがあれば、これは可能です。

しかし実際は日々、イラつくことが多く、こういう小さなイライラの積み重ねが親御さんのストレスになり、子どもさんへの対応を難しくしているのが現状です。

親御さんの心のゆとりをつくる

「不登校のお子さんに関わる前に自分に関わること」と言ったのは私の敬愛する先輩カウンセラーの金藤晃一先生ですが、不登校解決の本質をついているところがあると思います。

親がどれだけせのびして、子どもに良いかかわりをしても、子どもはその背伸びを見抜きます。

その背伸びの目的は「子どものため」を装いながら、「自分が楽になりたい」という思いがあるからです。自分が楽になりたいという思い自体は悪くありません。ただ、それを向ける相手が子どもというのは間違っています。

まずは、親御さん自身が楽になる方法を考えていくほうが解決としては早い場合もあります。

子どもを変える前に自分が変わらないといけない

私が、お子さんがカウンセリングを受けないならお母さま、お父さまが受けることをお勧めします、

と提案させていただくのも同じ理由です。

「子どもを変える前に自分が変わらないといけない」

実は先日お話させていただいたお母さまはそういう覚悟をもってお話にこられました。息子が悪いと責めるのでも、自分が悪いと卑下するのでもなく、

自分が変われば問題が解決する、という希望をもっているお母さまでした。

この方がカウンセリングを受ければ、ご自身が思われている以上に早く変化を味わうことができると感じております。

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中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。

変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。

でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。

雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。

でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。

勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ

「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。

「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。

まとめとひとこと

勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。

💬 今日のひとこと(格言)

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― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)

文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。

距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し

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「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、

本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。

でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。

子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、

“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。

私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。

特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。

近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。

そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。

今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、

まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。

そして、こんな言葉もあります。

“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。” ― 小児科医・毛利子来

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不登校対応で一番やってはいけないこと

不登校対応で一番やってはいけないこと 「あなたの育て方が悪い」とカウンセラーに言われた

お嬢様が小学校の高学年から学校に行かなくなったというお母さまからの相談。

これまで、スクールカウンセラーや医者に行っても改善せず、不登校の親の会で紹介されたカウンセラーのところに行きました。有名な先生で数か月待ってのカウンセリングだったそうです。

そこで言われたのが「あなたの育て方が悪い」ということでした。お母さまはこの言葉にショックを受けてしばらく落ち込んでいらっしゃいました。私と出会ったのはそのきついことを言われたカウンセリングから半年後でした。

その時に、このカウンセリングで話されたことを同じように話してくださいました。比較的裕福な家庭で、都心にしまれている方です。お子さんも優秀で、塾に通い、中学受験目前というところでの不登校だったそうです。その経緯を伺いながら私は「なるほど。そのカウンセラー先生がおっしゃられることも一理あるな」と思いました。

やってはいけないことは「比較」

それはお子さんを、比べていたことです。学校のクラスメイト、塾での点数、受験する学校、あらゆるところに比較の視点がありました。しかも、お嬢さんがどれだけ良い成績をとっても「さらに上の人がいる」というような言葉がけでした。お母さまとしては鼓舞するつもりだったそうです。

さて、もうお分かりだと思いますが、やってはいけないことは「比較」なのです。他人と比べる成績や学校での役割、受賞や資格、運動能力、音楽や美術の能力、コミュニケーション能力、身長、体重・・・

比べる視点は子育ての段階でかなりたくさんあります。親は鼓舞するつもりでも子どもには「ダメだしされている」ようにしか聞こえません。

比較が生み出す自責

さらに、不登校しているお子さんはどうでしょうか?

学校に行っていない自分、勉強していない自分、友達付き合いのない自分、

親に迷惑をかけている自分、親に言われる前に自分と他人(同世代のこどもたち)を比べているのです。そしてそれは自分を責めることにつながります。比較することが行けない理由は「自分を責める」という状況に陥ってしまうからです。その状況を作らないためにも、他人との比較はやめていただきたいところです。

とはいえ、「あなたの育て方が悪い」と断言するカウンセラーもちょっと考えものですね。

不登校カウンセリングをご希望される方はこちらからお気軽にお問合せください お問合せはこちらから…

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不登校になるのは親の愛情不足?

不登校のカウンセリングでこんなこと言われたりしませんでしたか?

不登校の原因をお親の愛情不足と決めつける人がいます。両親が共働きで、幼少期に満足にかかわる時間が少なかった。だから今構ってもらうために家にいる、そのためには不登校するしかない、そういうわけで家絵にいる。だから、しっかり関わってあげなさい。

カウンセリングだったり学校の先生なんかにこんなことを言われた経験がありませんか?

幼少期に得られなかったものを今得ようとしている。しかも、自分がもっと関わってあげれば良かった、何ていうことが心のうちにあると余計に刺さります。でも、これは短絡的な考え方です。もちろん親に甘えたい気持ちがないわけではありませんが、これは不登校になるお子さんに限ったことではありません。

 

愛情不足と言われても打つ手がない

愛情不足と言われても打つ手がありません。過去に戻ってかまってあげることなんかもできませんし、今更小さい子をあやすようによしよしとするのも違います。

愛情不足は原因でもないし、解決策にもなりません。

ましてや、愛情不足だから申し訳なかったと子どもに謝ることは禁物です。もし、愛情不足で子どもに謝るようにという助言を受けても決して謝る必要はありません。

理由は二つあります。

1つは子どもに謝ったところで何も効果がないからです。子どもとしても「何を言っているんだろうか?」と白けた感じになります。もうもう一つの理由は、愛情不足を謝られた子どもは「あなたの子育ては失敗でした」というメッセージを受け取ってしまいますます傷ついてしまうからです。

実は愛情のかけすぎの方が危険だったりする

一方で余りにも手をかけすぎると、それはそれで不登校になる可能性が出てくるのです。

過保護に子どもを育てると子どもの自尊心が育ちません。それは自分で考えたり、決めたりしなくても親がすべてしてくれるからです。そして、このほうが「愛情不足」より長期の引きこもりを引き起こす可能性が大きいと考えています。

子どものためと思って親があれこれ手を出す。危ないからと思ってやらせない。将来役立つからと塾や習い事をたくさんさせる。これを子どもが望んでやっているのであれば問題ありません。しかし、親の「不安」や「子育てに対する自信のなさ」から子どもに何かを「させる」と子どもは受け身になり、なされるがまま、誰かがやってくれるということで、進路決定や就職などの局面で前に進むことができなかったりもします。

親の愛情不足で不登校になるわけではない

愛情不足が不登校の決定的な理由ではありません。そもそもこの「愛情」というのが何なのかあまり具体的ではありません。

一緒にいる時間を長くすること、子どもの要求に応えること、将来を見据えて習い事に通わせること・・・確かに愛情ということで言えば形になって目に見えているので、「私は子どもに愛情をかけた」と思えるかもしれません。子どものためを思っていろいろとして挙げることは大事です。衣食住を守ってあげることも大事な要素の一つです。

しかし、愛情というのがすべて目に見えるか分かりません。さらに親は愛情を注いでいるつもりでも、子どもがそれを愛情として受け止めているかは子ども次第のところがあります。

よく、お兄ちゃんと同じように育てたのにお兄ちゃんは優秀だけど、弟は問題が多い、なんていうことを話されますが、同じ親から生まれた兄弟でも全然違います。同じように育てるということは、子どもの個性をないがしろにしてしまうのです。

愛情は子どもの受け取り方にも左右されます。これが愛情として伝わっているかどうかを考えながら子どもに接してもうまくいきません。むしろ、その時その時で自分にできる精一杯の子育てをしていくということで十分なのです。

 

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どうして親がカウンセリングを受けると子どもの不登校が改善するのか?

不登校の問い合わせの多くは親御さん、それもお母さまからがほとんどです。そして「娘のカウンセリングをお願いします」とか「息子に会ってもらえますか?」と言われます。

もちろん、こちらも不登校している本人に会えるのであれば喜んで日程を決めてセッティングします。

しかし、多くの場合は、そんなにうまくいきません。まあ、見知らぬおっさんが突然あらわれて「あなたの悩みを話してごらん」と言われてもまあ話さないです。

ですから、まずはお問合せくださった親御さん(多くはお母さま)のカウンセリングをお勧めします。

これはお母さまにどこか悪いところがあるからカウンセリングをする必要があるというのではありません。不登校のお子さんを持つことはかなりの精神的な負担があるからです。子どもを育てるというのは特に問題がなくても、大変なものです。

それが学校に行かないとなると「なんでうちの子が」というショックがあり、「私の育て方が悪かった」という自責の念もつのってきます。そんな状況で、仕事や家事、家族の世話をしているわけです。そして学校に行ってさえいてくれれば何とかなる子ども教育や進路を考え、場合によっては通院も必要になってと負担が一気に増します。

それを引き受けていて平気でいられる方がちょっと怖いです。

また、お母さまにカウンセリングをすすめる理由はお母さまの精神的な負担を解消するだけではありません。お子様への関わり方についても考えることができるからです。

不登校に限らず、精神的な不調は関係性の病と捉えることができます。親子の関係の在り方を変容させると改善していくことが予想できます。カウンセリングを通じて日々の何気ないかかわりが変化していくと、とうぜんその先に居るお子様や他の家族にも良い影響を及ぼしていきます。

不登校している娘のためなら何でもします、という思いでカウンセラーを探されている場合、まずはご自身のカウンセリングを設定することを強くお勧めします。

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勉強嫌いをうみだす母親の教育熱

1 子どもが勉強嫌いになるのは?

以前に都心にある小学校に勤めておりました。まさに大都会であり、長崎の田舎育ちである私からするとその環境の違いに驚くばかりの日々でした。東京の特に23区内の多くの小学生は中学受験をします。遅くても5年生、早い子はも低学年のころから塾に通います。塾で勉強すること自体は悪いことではないと思います。問題はその勉強のさせ方にあります。

膨大なテキストやドリル、学校の内容よりも早く進む先取り学習、その勉強を「やらせる」というスタンスで、親がスケジュール管理をする。やったかどうかのチェックだけではなく、横について一緒に勉強する。できていないところを徹底的に理解させる・・・それは、子どもさんの将来のことを思ってのことだと思います。しかしながらここに矛盾があります。中学受験を経て私立の学校に入ったら、さらに勉強をすることになるのですが、中学受験で無理矢理勉強させられた子どもたちは、勉強嫌いになることが多いです。むしろ、中学受験というヤマを登り切ったらホッとしたかのように勉強から手を抜きます。

これは実際に私立の中学校で働いているときに、1年生を担任した時に感じました。1学期はまだ緊張感もあり勉強しようという意志がありますが、2学期ごろから崩れていくのです。なぜ子どもたちが勉強嫌いになるかは簡単です。それは目的がないからです。

何のために勉強するのか?

この問いに自分で向き合い、自分なりに答えを出さない限り、自分で勉強するようにはなりません。

○○中学合格を目標に、小学生の放課後の時間を大量に投資しながらも「何のために勉強するのか」という問いに向き合うことがなく、ひたすら、問題を解かされテストを受けさせられという勉強をしていることは、生きていくために必要な学びにはつながりにくいのです。

通塾して一生懸命勉強したかいあって、良い中学(偏差値が高い・有名どころ)に合格しました。しかし、入ったあとはどうなるのでしょうか?良い大学(偏差値が高い・有名どころ)を目指して頑張る、頑張らされることになるわけです。中学が大学に変わっただけで、そこに本人の思いや考えはないのです。一般的に言われる良い大学に行くことで人生が保障されるということはなくなりました。これからは何を学び、何のために行動するのか。目的意識を持った人が必要なのです。

2 良い子が突然起こす問題行動

勉強に対するストレスは目に見えないところに現れています。

増田修治・白梅学園大学教授(臨床教育学)が小学校教員らに実施したアンケートでは 「良い子をふるまう子が増えた」という回答が1998年35.4%から48.5%に増えたという調査結果が報告されている(https://www.asahi.com/articles/photo/AS20200601000141.html)

親に無理矢理やらされる勉強を従順にこなしていく。これは一見良い子であり、賢い子になるだろうという期待を抱かせます。そして、やや自慢げに「うちの子はよく勉強するんです」なんてママ友なんかに語る。そういうのを傍らで見ている子どもは「親を喜ばせようと」頑張ります。

無理矢理やらされる勉強というけど、うちの子は塾に行きたい?ときいたら「うん、行きたい」と言いました。というのもそうです。親を喜ばせたい動機があります。それはその場の子どもの判断というより、それまでのかかわりの積み重ねです。「本当は友達とサッカーをしたいんだけど、お母さんにそんなこと言ったら、悲しませるだろうな。」という内面のつぶやきを押し殺して、良い子をするのです。いままで良い子を振舞ってきた以上、それは崩せないのです。

しかし、良い子を振舞い続けるのには限界があります。それは本来の自分ではないからです。どんな名優であっても、役割を演じ続けて一生を終える人はいません。演じる役は所詮本人ではありません。しかし、子どもたちはそれを演じ続けないと「親を喜ばせられない」と強く思っています。自分じゃない自分を生きることは、大きなストレスです。

「やりたくない」とか「うるせぇな」と反発してくれるのであればまだましですが、そういうこともなく、おりこうさんを過ごす。そのひずみは、学校を始めとした子どもとの人間関係に出ます。

人のものを盗る・隠す・勝手に捨てるものを壊す友達が嫌がることを口にする授業の邪魔をする—先取りしているからつまらない暴力をふるうなど

一方で異常な行動もとることもあります

トイレを流さないおもらし・おねしょをする万引きカンニングなどの不正行為リストカットなど

普段は良い子でとても勉強熱心。そういう子が突然問題行動を起こす。学校に呼び出されて「まさかうちの子がそんなことするはずない」と思っても現実に起きます。そうなると、「家ではそんなことはなかった。学校の指導が悪い。」「クラスの○○という生徒が悪い影響を与えている」信じられない事態を受け入れられないで、責任転嫁したくなるわけです。学校にかみつきすぎると「モンスター」扱いをされます。

ここで、表面ではなく、子どもの内面に目を向けましょう。表面的には問題行動、場合によっては警察のお世話になるようなこともあるかもしれません。しかし、問題を起こすというのは、子どもからのSOSなのです。心の中がいっぱいいっぱいになってどうしようもない。本当は良い子ではない、良い子を演じ続けることができない。それを言葉ではなくて行動で示しているのです。しっかり勉強して私立の中学校にはいったお子さんなら善悪の判断ができないなんてことはありません。それでも悪いことをしてしまうのには、何かしら意思があるのです。それは本人でも気づいていないことかもしれません。

別の見方をすると、親に対する復讐ともとることができます。無理矢理勉強させて、自分のやりたいことをやらせてもらえなかったと。どれだけ頑張ってもほめてもらえず、次々と課題を与えられたこと。心の中はカラカラです。この復讐は意識せずに行われます。なんでそんなことをしたのか自分でもうまく説明できません。

問題行動が起きた時、当然ながら、悪いことは悪いと叱る必要はあります。その一方で何か大きなストレスを抱えているのではないかと、ケアする視点も必要なのです。悪事をとがめるだけではなく、親に言いたくても言えないことがあるんじゃないかということを丁寧にくみ取っていく必要があります。きっちり対応すれば、問題行動が起きても、次を防ぐことができます。むしろ、問題行動が起きたことで、親子で本音で話しあえて、関係がより深まるということも十分に怒りえます。

3 教育熱心の裏側にある本音

ここで問われるのは母親の本心です。

「子どものために」という思いで、塾に活かせたり、習い事をさせたりするわけですが、それは愛情なのでしょうか?愛情という隠れ蓑に覆われた不安ではないでしょうか。

この子が路頭にまよったらどうしよう。周りの子についていけなかったらどうしよう。子育ての失敗者と思われたくない。私がこの子の人生の責任をとらないといけない。将来仕事に就けなかったらどうしよう。

など、いろいろな不安から「勉強しなさい!」ということを口走ってしまうわけです。その言葉が、親の本心からくる激励なのか、不安からくる言葉なのかは子どもは敏感に察知するわけです。

教育熱心という表面的な行動の裏には、子どもや子育てに対する大きな不安があるのです。本当に取り除くべきはこの不安なのです。

不登校も同じですが、子ども自身に確かに問題がある場合もありますが、実は一番、かかわりのあるお母さんの問題であることも少なくありません。私が親子カウンセリングをお勧めするのは、子どもが元気になっても親の不安が強いと、子どもがその不安に負けて元通りになってしまうからなのです。問題が起きた時、誰が悪いと責めるのではなく、ここでよりよい関係を気づくためのチャンスだと思って、お子さんと向き合っていただきたいと思います。

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子どもの自立を支える3つの要素

1 子どもを一人の存在として尊重するまなざし

子どもに対してどういうまなざしを持っているか。未熟な存在、弱い存在、何もできない存在、手のかかる存在・・・確かに、その通りなのです。生まれたばかりの赤ちゃんは自分でできることはほぼありません。幼稚園肉くらいまではトイレや食事、着替えることも手伝わないといけません。小学生になっても、持ち物や学校からの連絡は親が把握して助けないといけません。しかし、これらは全て「行為」に向けたまなざしです。生活に必要なスキルの習得には、早い遅い、そして上手下手があります。でも、「何かができるから、我が子として認める」とか、「何かができないから我が子ではない」ということはないはずです。できるできないは、自分の子であるかないかの基準にはならないわけです。

自分の子として生れてきたということだけで、その子は我が子なのです。自分の子であるということは無条件なのです。我が子というだけで素晴らしい存在なのです。ところが、子どもが成長するにしたがって、「人様に迷惑をかけないか」、「この年齢でこれくらいできるようになって欲しい」とか、その子の存在ではなく、世の中の基準に沿って子どもが成長・生活するように育てるほうにシフトしてしまいます。そして、できるだけ「普通」に育つように仕向けていくのです。

子ども一人ひとりが違った存在なのに同じ枠組みにはめようとする。つまり、その子の存在よりも、外側の行為を基準にした子育てがはじまると、子どもは息苦しくなります。しかし、子ども自身もそうするもんだと思って、頑張ります。

子どもの行動基準は「親が喜ぶかどうか」です。自分が頑張れば親が喜んでくれることが分かれば子どもは一生懸命になります。そして、子どもの中にも「できる自分はOK」「できない自分はダメ」という基準が生まれます。その結果、自分の本心から出てくる考えや思いよりも、他人を基準にした行動を選択するようになります。

一方で、存在に目を向けて「私の子は素晴らしい存在だ」ということを無条件に認めていくことは、子どもが「私はわたしであっていい」という思いで生きることができます。そもそも、子どもは一人ひとりことなる存在です。兄弟でも性格が全然ことなります。それは生まれた時から違いが見えます。例えば、授乳です。一回の授乳でたくさん飲む子もいれば、ちょっとずつ、細切れに飲む子もいたり、さらには、たくさん飲むけどたくさん吐いたり、朝はたくさん飲むとか、寝る前にたくさん飲むとか、そこだけ見ても、子どもは違った行動をとるわけです。そのあと身につけていく生活スキル、発する言葉、好きな遊び、どんどん違ったものになっていくのは当然です。その違いがあるのは当然のことと認めながら成長を見守るには、子どもの行為に重きを置くのではなく、存在そのものを素晴らしい存在として認めていくという大前提が必要なのです。

2 他の人と比べない

存在を認めるというテーマと関連するのが、比べる、つまり比較のテーマです。

「○○ちゃんはあんなに上手に自転車乗れるんだから、あなたも頑張りなさい」「お兄ちゃんみたいに上手に字が書けるようになってね」「妹ですらちゃんとお片付けするんだから、お姉ちゃんもやってよ」

と、同世代の友達や、兄弟姉妹で比べて、できていないことを叱る。競争心をあおって、劣っているほうを引き上げていこうとするときに使われる常套手段のようになっています。でも、これは子どもにすればとても不幸なことなのです。劣等感を植え付けられてしまい、自分は劣っている存在だという認識が生まれます。そして、別のもので勝負しようとします。たとえば、勉強で叶わないのであれば、スポーツ、まじめキャラで叶わないのであれば、ひょうきんキャラを演じる。そして、自分じゃない自分になろうと努力をします。これがうまくいってしまうと、実は悲劇なのです。というのは、自分じゃない自分じゃないと周りに受け入れてもらえないという思考が身に付きます。そしてますます、本来の自分を隠していきます。そのギャップに疲れてしまいます。毎日背伸びをして、本来の自分じゃないキャラを演じ続けることに疲れると、押し殺していた感情が爆発します。それが、外に向けば他人を傷つけることになるし、自分に向けば、自分を殺しにかかります。

また、比較の視点が子どもに持ち込まれると、人と勝負することが常になります。行動の基準が、他人に勝つこと—優越感を味わうことになってしまいます。子どもは親に言われなくても、兄弟姉妹や友達とじぶんを比べてしまうものです。そして自分を責めます。この自分への責めは、大人になると習い性になってなかなか抜けません。そして、この自分を責めるクセが普通だと思って生きると、責められることを恐れて、挑戦しない、行動を控えることをします。親の役割は、その差を埋めなさいというよりも、それこそ、存在を認めてあげて「あなたと○○ちゃんは違うの。違っていいの」ということを認めさせていくことです。

自立した存在として生きるには他人との比較ではなく、この自分は自分でいい、という認識が必要です。自分で自分自身を素晴らしい存在として認めていくことです。これを妨害するのが比較の視点―優越感と劣等感を行ったり来たりする生き方—です。他人と違うということを認識しつつもそこに優劣をつけない。そういう思いで子どもに接していくことで、徐々に子どもは自分の存在を「これでいい」と認め始めます。

なんだか調子に乗っていく感じがありますが、それでいいのです。そうしないと自立した存在として生きることはなかなか難しいのです。

3 子どもには子どもが歩むべき人生があるという認識

子どもに対して、行為ばかりに目が行ったり、他人と比較するのは、親の不安があるからです。子育に自信がある親というのはなかなかいません。子の育て方でいいのか、これで間違っていないのかということを問いながら、不安の中で育てていくことがほとんどかと思います。特に第一子に関しては。育児系の記事が書いてあるサイトや、育児書を読んでも、うまくいった事例ばっかりで、そんなにうまくいかないとお母さん自身が自分を責めてしまうことにもなります。

「うちの子がこのまま育って大丈夫だろうか?」

という不安な気持ちは多かれ少なかれどの親でももつ不安であります。おそらく、あなたの親御さんも同じように思われてあなたを育てたはずなんです。親が思うようには育たなかったとは思いますが、実際には学生を終えて社会人となり、家庭を持ち子どもを育てているわけです。十分じゃないかもしれませんし、それこそ自分はダメな親だとか思っているかもしれませんが、あなた自身は素晴らしい存在なのです。そして、親の不安をよそに、大人として、社会の一員として育たれました。

それは目の前にいるお子さんにも同じことが言えるわけです。親の思うようには育たない。でもその子はその子なりに、育っていってやがて社会に出るのです。親が思った人生、親が思う「こういうふうに育ってくれれば大丈夫」という思いではなく、お子さん一人ひとりが本来歩むべき人生を歩んでいく。そう信じて、子どもの人生を手放すことこそ、自立した子どもを育てる上でもっとも大事な要素です。

これは我が子に対する絶対的な信頼と他の人と比べない視点がもたらされることになります。大丈夫な存在として子ども認めて、この子はこの子の人生を歩むものとする。もちろん、ある年齢に応じてお世話をする必要もありますし、経済的に支援することも大切です。しかし、それはその子の存在を軸にした手助けであって、親がこうしようという思惑をもって育てるということとは異なります。

不登校は自立とは対極にあるように思われます。しかし、子育てを見直すチャンスです。子どもがその子らしい人生を歩んでいくことをこれから支えることができれば十分なのです。子育てに早い遅いはありません。時間はかかるかもしれませんが、取り戻す、やり直すことは必ずできます。…

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ありのままでいいは「何もしなくていい」ではない

「ありのままでいい」「ありのままの自分を認める」ということがアナと雪の女王のLet it GO が流行って以降、かなり言われるようになりました。

これは、自己受容という自分を知って、その自分を受け容れるということです。自己受容をすると、人と比べて卑屈になったり、無理に自分をよく見せようとしなくなったりします。その結果、心は楽になります。「がんばるべき」とか「良い人であるべき」という、自分を縛る「べき思考」からの解放にもなります。

ところが、ありのままの自分が嫌いな人はとてもじゃないけど受け容れられないことであります。

ありのままだと、何もしなくなるという恐怖があります。カウンセリングをしていても、 「ありのままのでいいと言われると、何もしなくなるんじゃないの?」 と疑問をいただかれる方がいます。

しかし、これは全く逆です。

ありのままの自分を認めると何かがしたくなるのです。

それは、ありのままの自分、この自分でOKという思いが、自己受容によって深まることで、「あ、これでいいんだな」と、フッと自分の力みがとれるのです。それまでは、他人と比べたり、自分が思い描いている理想の自分と程遠いことから、「どうせ無理」とか「自分には才能がないからできない」などと自分に対して内面で語られていた、否定的な言葉が消えていきます。

その結果、自分で自分に課していたリミットが外れるのです。

ありのままの自分を認め、自己受容が深まることで、それまでよりも楽に生きられるようになったという話はあります。しかし、堕落した生活になったというのは聴いたことがありません。ありのままの自分を認めることは、自分自身をダメにすることは決してありません。むしろ、自分らしく楽しく生きることができるようになるのです。

ありのままの自分を認めて、何もしなくなった、さらに堕落したという話はありえないことでもあります。

「ありのままの自分を受け入れたとき、初めて自分を変えることができるとはなんと興味深いパラドックス(逆説)だろうか?」と現代カウンセリングの祖のカール・ロジャーズも語っています。

ありのままの自分を認めること以上に自分を内面から変容させる方法は今のところないと言っても過言ではないくらい、この自己受容の世界というのは深いのです。

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