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子どもを信じるって、どういうこと?

◆子どもを「信じる」とはどういうこと?

― 信用と信頼のちがいから考える

新学期が始まるこの時期、朝起きられない子どもの姿を見て、「またダメだった」とがっかりしたり、焦ったりしている親御さんもいるかもしれません。
一方で、「信じてるよ」と言いながらも、本当にこのままでいいのだろうかと、不安になることもあるでしょう。

このコラムシリーズでは、不登校の子どもと日々を過ごすなかで、親の心が揺れるのは当たり前であることを前提にしながら、それでも子どもを“信じる”とはどういうことなのかを、6つのまなざしから考えていきます。

◆「信じてる」の奥にあるもの

「この子なら大丈夫」「きっと動き出せる」――

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。そんな思いで、心の中で「信じてる」と言い聞かせながら日々を過ごしている方も多いかもしれません。

けれど、ふと気づくと、それが「こうなってほしい」という“期待”になっていたり、過去の行動に基づいた“信用”になっていたりすることがあります。

たとえば、こんなやりとりはどうでしょう。

――ある朝、「今日は行けるかも」と本人がつぶやいた。
親としては内心ドキドキしながら、「うん、わかった」と返す。
子どもが自分で考えて動いてくれることを信じて、そっと背中を押すような気持ちで応じた。

けれど結局、その日は布団から出られなかった――。

そんなとき、親の中にはがっかりした気持ちとともに、「せっかく本人が“行けるかも”と言っていたのに…」という思いが湧いてくるかもしれません。
この“がっかり”はとても自然な感情です。けれど、もしその「信じてる」が「やれるよね?」という“期待”や、「前も行けたから今日もきっと」という“信用”だったとしたら、その落胆も無理はありません。

では、これが「信頼」だったとしたら――。

同じように「今日は行けるかも」と聞いたときに、親はこう思うかもしれません。

「この子の中に“行こう”とする気持ちが芽生えてきたんだな」
「たとえ今日は行けなかったとしても、その気持ちが出てきたことが、この子の歩みの一部なんだな」

そして、布団から出られなかったとしても、
「行けなかったこと」よりも、「行こうと感じたその瞬間」に目を向け続ける。
そんなまなざしが、“信頼”なのだと思います。

信頼は、「今日できるか」「明日動けるか」を判断するものではありません。
今すぐ変わらなくても、この子にはこの子のリズムがある――そう見守る、深く静かなまなざしです。

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吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

◆「期待・信用・信頼」の違いを整理してみましょう

言葉 意味 子どもとの関係での例
期待 未来に望むこと 「新学期には行けるようになるはず」
信用 過去の実績で判断する 「前に行けたから、今日も行けるはず」
信頼 存在そのものを認める 「今できなくても大丈夫。この子はこの子のペースで歩いている」

信頼は、結果に左右されない安心感を与えます。
「信じてる」という言葉が、子どもを変えるためのものではなく、
「あなたはあなたのままでいい」と伝える言葉になるとしたら――
それは、子どもにとって何よりの支えになるかもしれません。

◆信じるとは、ただ待つことではない

信じることは、「待つ」こととも少し違います。
コントロールせずに、でも放っておくのでもなく。
不安や焦りがあっても、安心できる空気を整えていくこと。
それが、子どもに向ける「信頼」のかたちです。

「信じるとは、見えない芽が地面の下で育っていると信じて、水をあげ続けること。」
― 作者不詳

文・大久保智弘
公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。
不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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