6月, 2020 | 不登校サポート | 家庭と子どもの再スタートを応援します

2020年6月

勉強嫌いをうみだす母親の教育熱

1 子どもが勉強嫌いになるのは?

以前に都心にある小学校に勤めておりました。まさに大都会であり、長崎の田舎育ちである私からするとその環境の違いに驚くばかりの日々でした。東京の特に23区内の多くの小学生は中学受験をします。遅くても5年生、早い子はも低学年のころから塾に通います。塾で勉強すること自体は悪いことではないと思います。問題はその勉強のさせ方にあります。

膨大なテキストやドリル、学校の内容よりも早く進む先取り学習、その勉強を「やらせる」というスタンスで、親がスケジュール管理をする。やったかどうかのチェックだけではなく、横について一緒に勉強する。できていないところを徹底的に理解させる・・・それは、子どもさんの将来のことを思ってのことだと思います。しかしながらここに矛盾があります。中学受験を経て私立の学校に入ったら、さらに勉強をすることになるのですが、中学受験で無理矢理勉強させられた子どもたちは、勉強嫌いになることが多いです。むしろ、中学受験というヤマを登り切ったらホッとしたかのように勉強から手を抜きます。

これは実際に私立の中学校で働いているときに、1年生を担任した時に感じました。1学期はまだ緊張感もあり勉強しようという意志がありますが、2学期ごろから崩れていくのです。なぜ子どもたちが勉強嫌いになるかは簡単です。それは目的がないからです。

何のために勉強するのか?

この問いに自分で向き合い、自分なりに答えを出さない限り、自分で勉強するようにはなりません。

○○中学合格を目標に、小学生の放課後の時間を大量に投資しながらも「何のために勉強するのか」という問いに向き合うことがなく、ひたすら、問題を解かされテストを受けさせられという勉強をしていることは、生きていくために必要な学びにはつながりにくいのです。

通塾して一生懸命勉強したかいあって、良い中学(偏差値が高い・有名どころ)に合格しました。しかし、入ったあとはどうなるのでしょうか?良い大学(偏差値が高い・有名どころ)を目指して頑張る、頑張らされることになるわけです。中学が大学に変わっただけで、そこに本人の思いや考えはないのです。一般的に言われる良い大学に行くことで人生が保障されるということはなくなりました。これからは何を学び、何のために行動するのか。目的意識を持った人が必要なのです。

2 良い子が突然起こす問題行動

勉強に対するストレスは目に見えないところに現れています。

増田修治・白梅学園大学教授(臨床教育学)が小学校教員らに実施したアンケートでは 「良い子をふるまう子が増えた」という回答が1998年35.4%から48.5%に増えたという調査結果が報告されている(https://www.asahi.com/articles/photo/AS20200601000141.html)

親に無理矢理やらされる勉強を従順にこなしていく。これは一見良い子であり、賢い子になるだろうという期待を抱かせます。そして、やや自慢げに「うちの子はよく勉強するんです」なんてママ友なんかに語る。そういうのを傍らで見ている子どもは「親を喜ばせようと」頑張ります。

無理矢理やらされる勉強というけど、うちの子は塾に行きたい?ときいたら「うん、行きたい」と言いました。というのもそうです。親を喜ばせたい動機があります。それはその場の子どもの判断というより、それまでのかかわりの積み重ねです。「本当は友達とサッカーをしたいんだけど、お母さんにそんなこと言ったら、悲しませるだろうな。」という内面のつぶやきを押し殺して、良い子をするのです。いままで良い子を振舞ってきた以上、それは崩せないのです。

しかし、良い子を振舞い続けるのには限界があります。それは本来の自分ではないからです。どんな名優であっても、役割を演じ続けて一生を終える人はいません。演じる役は所詮本人ではありません。しかし、子どもたちはそれを演じ続けないと「親を喜ばせられない」と強く思っています。自分じゃない自分を生きることは、大きなストレスです。

「やりたくない」とか「うるせぇな」と反発してくれるのであればまだましですが、そういうこともなく、おりこうさんを過ごす。そのひずみは、学校を始めとした子どもとの人間関係に出ます。

人のものを盗る・隠す・勝手に捨てるものを壊す友達が嫌がることを口にする授業の邪魔をする—先取りしているからつまらない暴力をふるうなど

一方で異常な行動もとることもあります

トイレを流さないおもらし・おねしょをする万引きカンニングなどの不正行為リストカットなど

普段は良い子でとても勉強熱心。そういう子が突然問題行動を起こす。学校に呼び出されて「まさかうちの子がそんなことするはずない」と思っても現実に起きます。そうなると、「家ではそんなことはなかった。学校の指導が悪い。」「クラスの○○という生徒が悪い影響を与えている」信じられない事態を受け入れられないで、責任転嫁したくなるわけです。学校にかみつきすぎると「モンスター」扱いをされます。

ここで、表面ではなく、子どもの内面に目を向けましょう。表面的には問題行動、場合によっては警察のお世話になるようなこともあるかもしれません。しかし、問題を起こすというのは、子どもからのSOSなのです。心の中がいっぱいいっぱいになってどうしようもない。本当は良い子ではない、良い子を演じ続けることができない。それを言葉ではなくて行動で示しているのです。しっかり勉強して私立の中学校にはいったお子さんなら善悪の判断ができないなんてことはありません。それでも悪いことをしてしまうのには、何かしら意思があるのです。それは本人でも気づいていないことかもしれません。

別の見方をすると、親に対する復讐ともとることができます。無理矢理勉強させて、自分のやりたいことをやらせてもらえなかったと。どれだけ頑張ってもほめてもらえず、次々と課題を与えられたこと。心の中はカラカラです。この復讐は意識せずに行われます。なんでそんなことをしたのか自分でもうまく説明できません。

問題行動が起きた時、当然ながら、悪いことは悪いと叱る必要はあります。その一方で何か大きなストレスを抱えているのではないかと、ケアする視点も必要なのです。悪事をとがめるだけではなく、親に言いたくても言えないことがあるんじゃないかということを丁寧にくみ取っていく必要があります。きっちり対応すれば、問題行動が起きても、次を防ぐことができます。むしろ、問題行動が起きたことで、親子で本音で話しあえて、関係がより深まるということも十分に怒りえます。

3 教育熱心の裏側にある本音

ここで問われるのは母親の本心です。

「子どものために」という思いで、塾に活かせたり、習い事をさせたりするわけですが、それは愛情なのでしょうか?愛情という隠れ蓑に覆われた不安ではないでしょうか。

この子が路頭にまよったらどうしよう。周りの子についていけなかったらどうしよう。子育ての失敗者と思われたくない。私がこの子の人生の責任をとらないといけない。将来仕事に就けなかったらどうしよう。

など、いろいろな不安から「勉強しなさい!」ということを口走ってしまうわけです。その言葉が、親の本心からくる激励なのか、不安からくる言葉なのかは子どもは敏感に察知するわけです。

教育熱心という表面的な行動の裏には、子どもや子育てに対する大きな不安があるのです。本当に取り除くべきはこの不安なのです。

不登校も同じですが、子ども自身に確かに問題がある場合もありますが、実は一番、かかわりのあるお母さんの問題であることも少なくありません。私が親子カウンセリングをお勧めするのは、子どもが元気になっても親の不安が強いと、子どもがその不安に負けて元通りになってしまうからなのです。問題が起きた時、誰が悪いと責めるのではなく、ここでよりよい関係を気づくためのチャンスだと思って、お子さんと向き合っていただきたいと思います。

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子どもの自立を支える3つの要素

1 子どもを一人の存在として尊重するまなざし

子どもに対してどういうまなざしを持っているか。未熟な存在、弱い存在、何もできない存在、手のかかる存在・・・確かに、その通りなのです。生まれたばかりの赤ちゃんは自分でできることはほぼありません。幼稚園肉くらいまではトイレや食事、着替えることも手伝わないといけません。小学生になっても、持ち物や学校からの連絡は親が把握して助けないといけません。しかし、これらは全て「行為」に向けたまなざしです。生活に必要なスキルの習得には、早い遅い、そして上手下手があります。でも、「何かができるから、我が子として認める」とか、「何かができないから我が子ではない」ということはないはずです。できるできないは、自分の子であるかないかの基準にはならないわけです。

自分の子として生れてきたということだけで、その子は我が子なのです。自分の子であるということは無条件なのです。我が子というだけで素晴らしい存在なのです。ところが、子どもが成長するにしたがって、「人様に迷惑をかけないか」、「この年齢でこれくらいできるようになって欲しい」とか、その子の存在ではなく、世の中の基準に沿って子どもが成長・生活するように育てるほうにシフトしてしまいます。そして、できるだけ「普通」に育つように仕向けていくのです。

子ども一人ひとりが違った存在なのに同じ枠組みにはめようとする。つまり、その子の存在よりも、外側の行為を基準にした子育てがはじまると、子どもは息苦しくなります。しかし、子ども自身もそうするもんだと思って、頑張ります。

子どもの行動基準は「親が喜ぶかどうか」です。自分が頑張れば親が喜んでくれることが分かれば子どもは一生懸命になります。そして、子どもの中にも「できる自分はOK」「できない自分はダメ」という基準が生まれます。その結果、自分の本心から出てくる考えや思いよりも、他人を基準にした行動を選択するようになります。

一方で、存在に目を向けて「私の子は素晴らしい存在だ」ということを無条件に認めていくことは、子どもが「私はわたしであっていい」という思いで生きることができます。そもそも、子どもは一人ひとりことなる存在です。兄弟でも性格が全然ことなります。それは生まれた時から違いが見えます。例えば、授乳です。一回の授乳でたくさん飲む子もいれば、ちょっとずつ、細切れに飲む子もいたり、さらには、たくさん飲むけどたくさん吐いたり、朝はたくさん飲むとか、寝る前にたくさん飲むとか、そこだけ見ても、子どもは違った行動をとるわけです。そのあと身につけていく生活スキル、発する言葉、好きな遊び、どんどん違ったものになっていくのは当然です。その違いがあるのは当然のことと認めながら成長を見守るには、子どもの行為に重きを置くのではなく、存在そのものを素晴らしい存在として認めていくという大前提が必要なのです。

2 他の人と比べない

存在を認めるというテーマと関連するのが、比べる、つまり比較のテーマです。

「○○ちゃんはあんなに上手に自転車乗れるんだから、あなたも頑張りなさい」「お兄ちゃんみたいに上手に字が書けるようになってね」「妹ですらちゃんとお片付けするんだから、お姉ちゃんもやってよ」

と、同世代の友達や、兄弟姉妹で比べて、できていないことを叱る。競争心をあおって、劣っているほうを引き上げていこうとするときに使われる常套手段のようになっています。でも、これは子どもにすればとても不幸なことなのです。劣等感を植え付けられてしまい、自分は劣っている存在だという認識が生まれます。そして、別のもので勝負しようとします。たとえば、勉強で叶わないのであれば、スポーツ、まじめキャラで叶わないのであれば、ひょうきんキャラを演じる。そして、自分じゃない自分になろうと努力をします。これがうまくいってしまうと、実は悲劇なのです。というのは、自分じゃない自分じゃないと周りに受け入れてもらえないという思考が身に付きます。そしてますます、本来の自分を隠していきます。そのギャップに疲れてしまいます。毎日背伸びをして、本来の自分じゃないキャラを演じ続けることに疲れると、押し殺していた感情が爆発します。それが、外に向けば他人を傷つけることになるし、自分に向けば、自分を殺しにかかります。

また、比較の視点が子どもに持ち込まれると、人と勝負することが常になります。行動の基準が、他人に勝つこと—優越感を味わうことになってしまいます。子どもは親に言われなくても、兄弟姉妹や友達とじぶんを比べてしまうものです。そして自分を責めます。この自分への責めは、大人になると習い性になってなかなか抜けません。そして、この自分を責めるクセが普通だと思って生きると、責められることを恐れて、挑戦しない、行動を控えることをします。親の役割は、その差を埋めなさいというよりも、それこそ、存在を認めてあげて「あなたと○○ちゃんは違うの。違っていいの」ということを認めさせていくことです。

自立した存在として生きるには他人との比較ではなく、この自分は自分でいい、という認識が必要です。自分で自分自身を素晴らしい存在として認めていくことです。これを妨害するのが比較の視点―優越感と劣等感を行ったり来たりする生き方—です。他人と違うということを認識しつつもそこに優劣をつけない。そういう思いで子どもに接していくことで、徐々に子どもは自分の存在を「これでいい」と認め始めます。

なんだか調子に乗っていく感じがありますが、それでいいのです。そうしないと自立した存在として生きることはなかなか難しいのです。

3 子どもには子どもが歩むべき人生があるという認識

子どもに対して、行為ばかりに目が行ったり、他人と比較するのは、親の不安があるからです。子育に自信がある親というのはなかなかいません。子の育て方でいいのか、これで間違っていないのかということを問いながら、不安の中で育てていくことがほとんどかと思います。特に第一子に関しては。育児系の記事が書いてあるサイトや、育児書を読んでも、うまくいった事例ばっかりで、そんなにうまくいかないとお母さん自身が自分を責めてしまうことにもなります。

「うちの子がこのまま育って大丈夫だろうか?」

という不安な気持ちは多かれ少なかれどの親でももつ不安であります。おそらく、あなたの親御さんも同じように思われてあなたを育てたはずなんです。親が思うようには育たなかったとは思いますが、実際には学生を終えて社会人となり、家庭を持ち子どもを育てているわけです。十分じゃないかもしれませんし、それこそ自分はダメな親だとか思っているかもしれませんが、あなた自身は素晴らしい存在なのです。そして、親の不安をよそに、大人として、社会の一員として育たれました。

それは目の前にいるお子さんにも同じことが言えるわけです。親の思うようには育たない。でもその子はその子なりに、育っていってやがて社会に出るのです。親が思った人生、親が思う「こういうふうに育ってくれれば大丈夫」という思いではなく、お子さん一人ひとりが本来歩むべき人生を歩んでいく。そう信じて、子どもの人生を手放すことこそ、自立した子どもを育てる上でもっとも大事な要素です。

これは我が子に対する絶対的な信頼と他の人と比べない視点がもたらされることになります。大丈夫な存在として子ども認めて、この子はこの子の人生を歩むものとする。もちろん、ある年齢に応じてお世話をする必要もありますし、経済的に支援することも大切です。しかし、それはその子の存在を軸にした手助けであって、親がこうしようという思惑をもって育てるということとは異なります。

不登校は自立とは対極にあるように思われます。しかし、子育てを見直すチャンスです。子どもがその子らしい人生を歩んでいくことをこれから支えることができれば十分なのです。子育てに早い遅いはありません。時間はかかるかもしれませんが、取り戻す、やり直すことは必ずできます。…

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再開したけど、学校に行きたくない3つの理由

3月ごろから学校が休校になり、この6月、ようやく再開したところも多いと思います。親にしてみれば、ようやく、学校に行ってくれるという思いもあるかと思います。子ども自身も4月ごろは早く学校が再開してほしいと思っていたかもしれませんが、ここまで長く学校に行かないと、今更いくの面倒だなという気持ちにもなっているのではないでしょうか。

休校になったばかりのころは早く学校に行きたいという思いもあったかもしれませんが、長い休校期間があったことで行きたくない気持ちが出てくる人が増えているようです。

そして学校に行きたくない理由が意外と自分でも分かっていなかったりします。「面倒くさい」というところで思考が止まってしまってその先に進まないところがあります。コロナで学校に行きたくなったのには大きく3つの理由が考えられます。

コロナの休校が明けても、学校に行きたくない理由その1 生活リズムがうまくできていない

一つ目は、生活のリズムがうまくできていないというのが挙げられます。コロナによる休校期間中に昼夜逆転したり、朝寝坊したりと、生活のリズムが崩れている人が結構いるようです。そして、どうもそのリズムが自分にとって心地よく、あまり崩したくないというのが本音のようです。要は、だらだらした生活でもなんとかなるという思いがあります。もちろん、学校に行かないといけないという気持ちがあるにはあるのですが、2,3か月かけてつくった体のリズムはなかなか元には戻せません。

コロナの休校が明けても、学校に行きたくない理由その2 目標がなくなってしまった

二つ目の理由として考えられるのは、目標がなくなってしまったことです。たとえば、クラブを頑張っていた生徒に多いのですが、今年は試合や大会がことごとく中止です。特に高校3年生は3年間の集大成としてクラブ活動の最後の大会に向けて準備をしていたと思います。それが、勝つのでも負けるのでもなく、何の成果も出せないまま、終わっていくという喪失感。もしかしたら、大学受験にスパッと切り替えているように見えても、実は結構心のなかではこの思いはくすぶっていたりします。その思いを意識しないで、生活をすると、「なんとなく無気力」な感じで暮らしてしまいます。一生に一度のチャンスを、不可抗力で無しにされたわけです。学校に行くということ自体に意味を見出せない状態ではなかなか学校に気持ちが向かないのではないかと思います。

大学受験に関しても似たようなことが起きているのではないかと思います。地方に住む生徒さんで、東京など首都圏の大学への進学を希望していたとします。しかし、首都圏は密の状態を避けるのが難しいところが多いです。すると、今まで目指していた大学を諦めて、地元の大学に志望を切り替えないといけない事態も起こりうるわけです。

クラブにしろ、受験にしろ、目標を見失ってしまうと、無気力になります。そう簡単に人の気持ちは切り替わりません。しばらくだらだらする(ように見えて悩んでいる)時間を過ごす必要があります。

コロナの休校が明けても、学校に行きたくない理由その3 学校に行く意味を考え始めた

自分で勉強ができてしまった。というのが実は結構あるようです。与えられた課題やオンラインの授業で、自分でやらないといけない勉強量が増えた。その結果、自分で調べて先に進める力を得たというのがあります。理由その2とも関連しますが、これは「そもそも学校行く意味あるの?」なんていう問いを持ってしまいます。自分で勉強できる、通学の時間も不要、煩わしい人間関係もない。別にいいんじゃないかという思いが出てくるわけです。

この「そもそも学校行く意味あるの?という問いはコロナの休校がある以前から、不登校する生徒さんが自問している問いの一つです。みんなで同じことをやる、与えられた勉強をひたすらこなす、テストで友達と競う、そんなことがことごとく無意味だと感じて、いつの間にか学校から足が遠のいている場合があります。

生活のリズムは、徐々に取り戻していくことができますし、気持ちさえ向けば登校するようになります。しかし、目標を喪失したり、何のために学校に行くのかを考えだすと、不登校が長引く可能性も否めないです。そこには、しっかり自分と向き合って気持ちを立て直す時間が必要です。学校に行く意味を見失ったまま登校し続けることは、それはそれで危険なことです。うつになる可能性があります。

学校に行きたくない理由が明確でない場合は特に要注意です。…

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