1 テストの点が悪いと「頭が悪い」と決めつけてしまう
テストの点数によって、自分で頭の良しあしを判断してしまいます。生徒本人もですし、親や教師も決めつけがあります。
この決めつけは先入観です。
実際に社会に出てから役立つ能力をすべて勉強で測っているわけではありません。
むしろ、学校の試験で測られているのは、私たちが社会に出てから必要とする能力の一部分にしか過ぎないのです。
テストの点だけで「頭が悪い」と決めつけるのはもったいないのです。
頭が悪いという決めつけをするよりも、自分の良いところをたくさん見つけることが大切です。
人前で話すのが好き、手先が器用、絵がうまい、友達を気遣える、リーダーシップがあるなどいろいろと大切な能力があります。
実際には数値化できない能力がたくさんあるのです。
2 社会で必要とされる力は数値化できない
社会に出て必要な力の多くは数値化できません。定義も難しいですし、測り方もないのです。
たとえば、発想力、コミュニケーション力、人や自分を大切にするちから、物事を前向きにとらえる力など、どれも数字で〇点とか、Aランク、Bランクなどの格付けも難しいです。
社会に出て直面する問題や働く中で与えられる課題についてはルールが決まっていません。
仕事ですから締め切りは決まっているものもありますが、長期的に取り組まないといけない仕事もあります。また、突発的な事態もあるわけです。
問題となる状況に対処するためには、頼れる人には協力を仰ぐし、必要な情報は手段を択ばないで手に入れないといけません。一人で何も見ないでやるなんて言う状況はほぼありません。
また、時間をかけて一生懸命やったものが、良い結果をもたらさないこともありますし、運やタイミングに助けられて、解決に至ることもあります。
社会に出た時、そこには問題解決のための道筋が決まっていることは極めて少ないわけです。その時、数値化できる能力を必死に伸ばすだけで対応できるのか?ということです。
テストの点が良いことだけが頭の良さではありません。いろんな能力を用いて問題に立ち向かっていくことができる能力が求められます。
人に協力を仰ぐ、人脈を築く、人と折り合いをつけるにはコミュニケーション能力が必要です。また、アイディアや発想を豊かにするための考える力が必要です。
自分を見つめる力、将来を描く力、当然、コミュニケーション能力や発想力、考える力も身に付けてほしいところです。真剣にやるときと遊ぶ時のメリハリや切り替えができる力も必要です。もちろん、テストでよい点を取るための勉強も大切です。でもそれと同じくらい、自分の得意を伸ばすことも重要なのです。
自分の頭の良さを否定しないことも、将来の自分への可能性を広げるうえでとても大切なことです。
もしかした、そうは言っても自分のことを頭悪い人思っているかもしれません。
3 テストは点数や偏差値を測るための競技のようなもの
中学生や高校生にとって成績にまつわる数字は気になります。テストの得点、偏差値、通知表の評定、学年やクラスでの順位などですね。
これらの数字にはそれぞれ目的があるのです。テストを点数で表すのには、その時々によって数値化して測りたい目的があるからです。
良い悪い、成長したかどうか、合格・不合格を判断するために便利だから数値化されているわけです。
しかし、数値化されたものがすべてあなた自身の能力と関係しているかといわれると、そうではありません。
頭の良しあしは測ることができません。
例えば定期テストの得点の例に考えたいと思います。
定期テストの得点は当然ながらテストの正解の数で決まるわけですが、実はテストの得点を測るためにはかなりいろいろな条件やルールが設定されています。
定期テストを受ける環境を考えてみましょう。
・時間制限があります。
・日時が決まっている。
・参考になる資料は一切見てはいけません。
・人と話すこともできません。
・ネットも使えません。
・教科・科目、そしてその中での出題範囲が決められています。
・出題される問題はすべて答えが一つに決められています。
・最高得点は100点で、すべて○×をつけることができます。
結構たくさんあります。
では、このようなルールがあるテストで測られている得点はなんなのか?とうことです。
それは、限られた時間の中、出題範囲の中から作られた問題を、何も見ない、人を頼らないで、できるだけ多く正解に結びつけることができた力。ということになります。
テストというのは実は「競技」なのです。限られた時間内に何も見ないで多くを正解させる競技の得点なのです。決して、頭の良さを測っているものではないのです。
テストの点が悪い=頭が悪いということは決してありません。
テストの点が悪い原因はいろいろ考えられます。それは、勉強の仕方が悪かったり、取り組む姿勢が悪かったり、教える側が悪かったり、出題が悪いという場合もあります。原因は様々ですが、テストの点だけを見て頭が悪いと決めてしまうのはかなり乱暴です。テストは頭の良さを測っていないのです。
このことは社会に出て活躍している人のみんながみんな、学生時代にテストの点が良かった人ばかりではないということが証明しています。
4 数値化することは実は特殊なこと
そもそも、数値化されたデータというのが、真実を表していない場合があります。
突然ですが、あなたの足のサイズは何センチですか?
おそらく、今、「〇〇センチだよ」と頭の中に浮かんだサイズは実は足のサイズではありません。
それは靴のサイズです。
自分の足のサイズを正確に測ったことのある人はほとんどいらっしゃいません。
数値化されている情報はとても便利です。足のサイズよりも靴のサイズを知っているほうが買い物しやすいですから。
しかし、数字が必ず本当のことを表現しているかというと、実は結構本当のことじゃなかったりします。
物事を説明したり、判断するときに数値化したほうが便利だからそうしているのです。
数値化するのは測りたいこと、そして測定して出てきた数値をつかって分析したり、判断したりすることが必要だから、いくつかの条件をもうけてデータ化しているわけです。先に書いたようにテストもいくつもの条件下で測れたデータであって、それが頭の良しあしを判断するためのものではないのです。
実は身近だけど、数値化できないこともたくさんあるんです。
例えば、あなたには友達が何人いますか?
これ、実は答えられないんです。こちらが友達だと思っていても、相手がそう思っていないこともあります。毎日会うから友達だとも限らないし、最後にあったのは3年前、というのでも友達かもしれません。最近はSNSで知り合った相手で、一度もあったことなくても友達とうのもありますね。
テストの話にもどりますね。確かに勉強は大事です。テストの点は低いより高いほうがいいわけです。
しかし、テストの点が評価の対象になるのは学生時代までです。
それ以降は、テストの点のような数値化できる能力ばかりでは太刀打ちできないのです。
5 数値化されない能力を伸ばすために
数値化されない能力を伸ばすことで、
テストの点が悪い = 頭が悪い → 自分は無能である
というネガティブなサイクルから抜けられます。
あなたにはあなたにしかない良さが必ずあります。
それを見出すことができれば、他人に劣るところがあっても、その部分は助けてくれる人に任せることができます。
自分の良いところを知ることがその一歩目になります。