引きこもり | 不登校サポート | 家庭と子どもの再スタートを応援します

引きこもり

不登校の小学生・中学生・高校生に効果的なbeingアプローチ

不登校している小学生・中学生・高校生に効果的なbeingアプローチ 不登校は「ダメなこと」という価値観から抜ける

学校に行くのが当たり前で、不登校するのはいけないこと、という考え方は一般的です。ですから、何とか学校に行かせようと周りが必死に働きかけるわけです。しかし、不登校は「ダメなこと」で関わると、不登校している「あなた」も「ダメな人」と受け止めて、自己肯定感が下がり、余計に外に出るハードルが高くなります。不登校は良いとか悪いという判断基準をいったん脇において、目の前にいるお子さんの思いや気持ちに焦点を当てていくことが大事です。不登校は成長過程の一つのプロセスのようなものです。そこを通らない人もいますが、通る人もいます。通った時にどう接するか?が重要になります。その際に効果的なのがbeingアプローチです。

beingアプローチとは

beingアプローチとは目の前にいる人の存在=beingにまなざしを向けることです。学校行く行かないは行為=doingです。doingは目に見えて、比べることができ、優劣がつきます。「不登校はダメなこと」という思いが「自分はダメだ」と認識を違えてしまうのは、人をdoing(行為)で見ているからです。一方のbeingは相手の存在そのものに目を向けます。存在は言い換えると命ともいえます。不登校しているからあなたの命(存在)がダメだとはなりません。不登校していようと、していまいと、存在そのものは変わらず、尊いものなのです。この存在に目を向けていくことで、結果として、相手の良い面や良い変化が見えてきたり、一見して悪化しているような状況でも前向きにとらえることができます。

beingとdoingの関係は手のひらに例えると分かりやすいです。私たちが手でやる作業のほとんどは指がやっています。ペンを持つ、箸をもつ、スマホをタップする、パソコンのタイプをする、本のページをめくるなどです。一方で手のひら自体はできる作業はそんなにありません。指がないと今あげたようなことは極めて難しいです。しかし、手のひらがないと指は動きません。doingだけを見ているというのは指の機能だけを見ていて、そこに「がんばれ」と言っているわけです。しかし、手のひらにエネルギーを送らないと指が動かないようにbeing(存在)にエネルギーを送らないと、doing(行為)もうまくいかないのです。

beingアプローチの実際

「私、生きている意味ないんでもう死にたいんです。学校行っていない私が社会で働けるわけないし、親だって私が今は中学生だから何とかしてくれるんだろうけど、あと3年もしたらきっと見放すと思う。だからもういいんです」ということを話して来た中3女子がいました。少し涙を流しながらも、淡々とれいせいに話していました。自殺をほのめかす内容ですから、放っておくわけにはいかないのです。

しかし、こちらが動揺して「そんなこと言ってはいけない」と言っても、相手の発言、思いを否定することになります。この時に何と声をかけるかが重要です。まず、自分の思いを言葉にできたこと。死にたいくらい辛い思いを誰かに打ち明けること自体、勇気のいることです。彼女が嘘で言っているとはとても思えない緊張感がありました。さらにいうなれば、そういう思いがありながらも、約束のカウンセリングに来た、ということはそこにわずかながらでも希望を持ってきていることになります。

beingアプローチは言葉の背後に隠れた思いや気持ちを見ることができます。ただ、それが分かったからと言って、すぐに「希望をもってここに来られたんですね」などと安っぽい言葉で応答してはいけません。ただ黙ってじっと、一緒にたたずみます。相手が感じている、重く辛い気持ちをちょっとでも手助けできないかという思いを持って、しばらくの重たい沈黙を共有するのです。すると、また彼女が話し始めます。その時は、そういう考えに至った理由や実際に死んでしまうとどうなるか、どんな方法で死のうか、なんていう思考の足跡を話してくれました。ほどなくして、「あー、全部喋っちゃった」少し軽くなった雰囲気で表情も和らぎます。ここまでくると峠を越えた感じです。

相手がもつネガティブな思い、そこに前向きに寄り添えるのがbeingアプローチの真骨頂とも言えます。言葉(doing)にとらわれて、こっちが焦ったのでは、おそらく不登校しているお子さんは「こいつも分かってくれないで直そうとしてくる人だ」とカウンセラーを忌避します。相手の存在に目を向けて「分かろうとする」ことに重きを置いて関わるのがbeingアプローチです。

beingアプローチがもたらす変容

私はこれまで多くの不登校しているお子さんにこのbeingアプローチを用いて関わってきました。不登校している、生き渋っている、引きこもっているなど、状況は様々でした。本人には直接かかわれない(カウンセリングを受けたがらない)で、親御さんのカウンセリングを続けたケースもあります。どんなケースであってもこのスタンスを崩したことはありません。すべてがうまくいきました、というと誇大広告になってしまいますが、一定期間関わることで、何らかの変容があったことは間違いありません。もちろんその変容は一見するとネガティブなものかもしれません。しかし、そのプロセスを経ることでしかたどり着けない、その人なりの未来があると考えます。そのネガティブな変容の中にすら希望の種を見いだしていけるのがこのbeingアプローチでもあります。

学校に行かないことで辛い思いをしている状況では、視野が狭くなってなかなか前向きな考えを見いだすことが出来ません。不登校が長引いているとその状況に慣れっこになってしまって、不安があることが普通で、不安を払しょくすることをかえって恐れるということさえ出てきます。(家族システムズ論の創始者のマレー・ボーエン氏はこれを「不安拘束」と呼びました)この不安が家族の一員となっている状況から抜け出すためにも、第三者のかかわりが大切になります。

不登校の解決のための情報発信をメルマガを通じて行っております。

いきなり問い合わせはちょっと抵抗があるなという方におすすめしております。不要だと思われたら解除もできますので、お気軽にご登録ください。すぐにお問合せしたい方はページの下方に問合せフォームのボタンがございますので、そちらからご連絡ください。

不登校の解決に向けたメルマガを読む 不登校やキャリア教育に関するコラム 沈黙もまた、親子の大切な対話のかたち──子どもが話さない時間にできること 沈黙もまた、親子の大切な対話のかたち──子どもが話さない時間にできること

子どもが学校から帰ってきて、「おかえり」と声をかける。でも返ってくるのは、目も合わせずにボソッと「あー…」。表情が暗くて気になり、「何かあったの?」と聞いても、「別に」。それでもやっぱり心配になって、「なんか、表情が険しいけど…」と重ねて聞くと、「うるさいな!」と強い口調で返されてしまう──。

こんなとき、親の胸の中には不安が広がります。「私、嫌われたのかな」「何か地雷を踏んじゃったのかな」と戸惑ってしまう方も多いでしょう。

でも実は、子ども自身も、自分の中にあるモヤモヤをまだうまく言葉にできていないことがあります。学校でのちょっとしたストレス、人間関係の複雑さ、なんとなくうまくいかなかった一日。それらを一から説明するのも面倒で、気づけば感情だけが先に溢れてしまう──その矛先が、いちばん近くて安心できる親に向いてしまうのです。

決して、親が嫌いになったわけではありません。むしろ、“話せない気持ちごと受けとめてくれる存在”だと信じているからこそ、不機嫌や反発という形で感情が出てくるのかもしれません。

今回は、そんな沈黙や反発の奥にある子どもの気持ちに、親としてどう寄り添えばいいのかを、一緒に考えてみたいと思います。

子どもとの沈黙が不安に感じるとき

言葉が返ってこない、目も合わせてくれない、なんとなく不機嫌。そんな子どもの態度に、親は「今、私どう接するのが正解なんだろう?」と迷ってしまうことがあります。

特に、学校で何を感じてきたかなんて、親には見えません。でも、子どもにとっては「いちいち全部説明するのも面倒」「細かいことを話す気力もない」そんな気持ちで口数が減っていることもあります。

親に悪気があるわけでも、子どもに敵意があるわけでもないのに、「話す気になれない空気」と「心配して深く聞く空気」がぶつかってしまうこともあるのです。

沈黙の中にも、関係はちゃんと育っている

思春期や心が揺れているとき、子どもは「話したいけど、うまく言えない」「伝えたいけど、まとまらない」――そんなもどかしさを抱えていることがあります。

親が無理に引き出そうとすると、かえって子どもは心を閉ざしてしまうことも。でも、沈黙は関係が壊れている証拠ではありません。むしろ、「今は話せないけど、ここにいてくれることが安心」という、信頼の表れでもあるのです。

話すことより、「話せる空気」をつくる

親子のコミュニケーションは、言葉のキャッチボールだけではありません。大切なのは、**「何を言うか」より「どんな空気でそこにいるか」**です。

話しかけても反応がなくても、そばで静かに一緒にいる。ごはんを並べて「おかえり」とだけ言う。そんなふうに、**沈黙に寄り添う“まなざし”**が、子どもにとって何よりも安心になることがあります。

沈黙を信じられる親でいるために

子どもの沈黙に耐えるには、親にも心の余裕が必要です。「今は話せないときなんだ」「言葉にならない気持ちがあるんだ」と思える安心感。それは、親自身が自分の不安にも優しくできているときに生まれます。

「話してくれない=うまくいっていない」と決めつけず、「きっと話してくれる時が来る」と信じて、日常を丁寧に過ごしていく。その姿勢こそが、子どもとの信頼をゆっくりと育んでいきます。

「沈黙もまた、親子の大切な対話のかたち。」― トマス・ゴードン(臨床心理学者、『親業』より)

文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

.cta-buttons { display: flex; flex-wrap: wrap; justify-content: center; gap: 16px; margin-top: 32px; } .cta-button { background-color: #f98c5f; color: #fff; padding: 12px 24px; border-radius: 30px; text-decoration: none; font-weight: bold; transition: 0.3s; } .cta-button:hover { background-color: #e67646; } .cta-button.secondary { background-color: #eee; color: #333; }

無料相談してみる メルマガを受け取る

こちらの記事もおすすめです 沈黙もまた、親子の大切な対話のかたち──子どもが話さない時間にできること

2025年5月24日 コメントはまだありません .elementor-widget-heading .elementor-heading-title{font-family:var( –e-global-typography-primary-font-family ), Sans-serif;font-weight:var( –e-global-typography-primary-font-weight );color:var( –e-global-color-primary );}.elementor-4074 .elementor-element.elementor-element-4b76310f{text-align:center;}.elementor-widget-text-editor{font-family:var( –e-global-typography-text-font-family ), Sans-serif;font-weight:var( –e-global-typography-text-font-weight );color:var( –e-global-color-text );}.elementor-widget-text-editor.elementor-drop-cap-view-stacked .elementor-drop-cap{background-color:var( –e-global-color-primary );}.elementor-widget-text-editor.elementor-drop-cap-view-framed .elementor-drop-cap, .elementor-widget-text-editor.elementor-drop-cap-view-default .elementor-drop-cap{color:var( –e-global-color-primary );border-color:var( –e-global-color-primary );}.elementor-widget-image .widget-image-caption{color:var( –e-global-color-text );font-family:var( –e-global-typography-text-font-family ), Sans-serif;font-weight:var( –e-global-typography-text-font-weight );}.elementor-4074 .elementor-element.elementor-element-598e254 .elementor-heading-title{font-family:”Roboto”, Sans-serif;font-weight:600;-webkit-text-stroke-color:#000;stroke:#000;color:var( –e-global-color-primary );}.elementor-4074…

不登校の小学生・中学生・高校生に効果的なbeingアプローチ Read More »

僕が引きこもりにならなかったのは○○があったから

不登校を経験した大人は思いのほかたくさんいます。また、不登校たくても、我慢して学校に生き続けた人もいます。このコラムでは後者に当たる人のお話をします。

彼は、おとなしい性格であり、集団の中にいるのが苦痛でした。それでも学校に通い続けました。一部の気の合う友人と理解ある先生のおかげで、不登校にならずに卒業し、大学まで行きました。しかし、心の中に「なんか違うな」という気持ちはありました。

そして中学3年生の時に本気で学校に行きたくないと思い、数日休みました。しかし、なんか知らないけど家にいても落ち着かないので学校に行くことにしたそうです。

大学卒業後、就職。そのころには心の中にあった「なんか違うな」という感覚はなくなっていました。そして、順調を続けることができていました。

しかし、働き始めて2年が過ぎたあたりで、これまで何でもなかった資料の整理であったり成果報告などができなくなりました。やろうとしても体が動かない、やっとの思いでパソコンに向かっても頭が真っ白になってしまいました。そして、休職。そのまま体調はもどることなく退職となりました。

それは、彼にとってとても衝撃的なことでした。まさか仕事を辞めることになるとは思ってもみなかったのです。社員寮を引き払い自宅に帰る。親になんと言われるだろう、弟にはふがいない兄の姿を見せたくないな。そんな思いがあり家に着きました。

母親が普通に「お帰り」と迎えてくれたそうです。そして、普段と変わらず家族と食卓を囲みました。食後に彼が「仕事を辞めてしまって申し訳ない」と話すと、母親が「仕事をしていてもしていなくてもあなたは私の子なの。謝る必要はないですよ」と言い、続けて父親が「ここはお前の家でもある。だから居ていい」と言いました。

彼はその言葉に救われました。社会人になり、しっかり働いていた会社を辞めても、自分の存在を受け止めてくれる存在。「これがあったから僕は引きこもらなかった」と彼は話してくれました。

その後、彼はアルバイトをはじめ、非常勤の仕事に就きました。正社員への復帰を目指しつつ、励んでいらっしゃいます。

実はこの「自分の存在を受け止めてくれる存在」というのは不登校の回復にも必要なことです。学校に行くいかないではなく、生きているあなたそのものが大切な存在であるという姿勢です。言葉で伝えることも大切ですが、その背後の態度が大切です。…

僕が引きこもりにならなかったのは○○があったから Read More »