不登校を経験した大人は思いのほかたくさんいます。また、不登校たくても、我慢して学校に生き続けた人もいます。このコラムでは後者に当たる人のお話をします。
彼は、おとなしい性格であり、集団の中にいるのが苦痛でした。それでも学校に通い続けました。一部の気の合う友人と理解ある先生のおかげで、不登校にならずに卒業し、大学まで行きました。しかし、心の中に「なんか違うな」という気持ちはありました。
そして中学3年生の時に本気で学校に行きたくないと思い、数日休みました。しかし、なんか知らないけど家にいても落ち着かないので学校に行くことにしたそうです。
大学卒業後、就職。そのころには心の中にあった「なんか違うな」という感覚はなくなっていました。そして、順調を続けることができていました。
しかし、働き始めて2年が過ぎたあたりで、これまで何でもなかった資料の整理であったり成果報告などができなくなりました。やろうとしても体が動かない、やっとの思いでパソコンに向かっても頭が真っ白になってしまいました。そして、休職。そのまま体調はもどることなく退職となりました。
それは、彼にとってとても衝撃的なことでした。まさか仕事を辞めることになるとは思ってもみなかったのです。社員寮を引き払い自宅に帰る。親になんと言われるだろう、弟にはふがいない兄の姿を見せたくないな。そんな思いがあり家に着きました。
母親が普通に「お帰り」と迎えてくれたそうです。そして、普段と変わらず家族と食卓を囲みました。食後に彼が「仕事を辞めてしまって申し訳ない」と話すと、母親が「仕事をしていてもしていなくてもあなたは私の子なの。謝る必要はないですよ」と言い、続けて父親が「ここはお前の家でもある。だから居ていい」と言いました。
彼はその言葉に救われました。社会人になり、しっかり働いていた会社を辞めても、自分の存在を受け止めてくれる存在。「これがあったから僕は引きこもらなかった」と彼は話してくれました。
その後、彼はアルバイトをはじめ、非常勤の仕事に就きました。正社員への復帰を目指しつつ、励んでいらっしゃいます。
実はこの「自分の存在を受け止めてくれる存在」というのは不登校の回復にも必要なことです。学校に行くいかないではなく、生きているあなたそのものが大切な存在であるという姿勢です。言葉で伝えることも大切ですが、その背後の態度が大切です。