7月, 2020 | 不登校サポート | 家庭と子どもの再スタートを応援します

2020年7月

不登校の中学生が学校に行きたくない本当の理由が言葉にならないのはなぜか?

中学生のお子さんが「学校に行きたくない」と言ってきた。理由を尋ねると「頭痛がする」とか「お腹が痛い」と身体症状を訴えることがあります。これが事実であれば回復すれば学校に行きます。不登校の場合も頭痛や腹痛は実際に起きています。ただ、学校を休むことが決まるとその不調は回復することが多いです。

学校に行きたくない本当の理由はなかなか親には言いません。というより、親に言えるくらい明確な理由であれば、対応できます。多くの場合は自分で言葉にできない、なんだかわからない理由から来ています。

だからこそ、不登校をしています。自分でもわからない。でもなんか、学校に行くのは今の自分にとっては違うという思いが、彼ら彼女らの頭の中にあります。3つのポイントで見ていきましょう。

1不登校の理由はあるけど決定的な理由が分からない 2学校に行く意味を考えすぎている 3問いが深すぎて抜け出せなくなっている 1不登校の理由はあるけど決定的な理由が分からない。

不登校の理由は実は本人も良く分かっていない。

親としては、「勉強についていけないのかな?」 「クラスの雰囲気になじめないのかな?」 「実はいじめられているのかもしれない・・・」などなど、いろいろと不安な要素が思いつくが、いまいちどれもあてはまらない。

本人に問い詰めても、はっきりした答えは返ってこない。ただそこにあるのは「なんとなく学校に行きたくない気持ち」そんなことを話しても分かってもらえないから、話をしない。

理由が明確にあれば言葉にすることができる。対処の仕方もある。しかし、理由が不明確なほうが多い。少なくとも私が接してきたケースは理由は分からない。分からないけど、気が付いたら前を向いて、次の進路を見出していく。

むしろ、理由を具体的に言葉にしているときの方が表面的で危うい。

「いやな奴がいる」「○○の授業の先生がこわい」「クラスに仲の良い人がいない」

いじめが明確にある場合は別として。これらの理由は不登校の理由の核心ではないことが多い。かりにこれらの問題を処理しても、学校には行かない。次なる課題を言ってくるだけである。

これは不登校の理由を取り繕って、しばしの休息を得る。その間に自分で何とかしようという思いが子どもの中にはあるからである。

2学校に行く意味を考えすぎている

「なんで学校に行かないの?」

と問いかけても

「なんか分からないけど行きたくない」

というモヤっとした理由が返ってきても、学校を休ませるに十分な理由とは認めることが難しい。

不登校のお子さんを持つ母親のカウンセリングで受ける相談で多いのが「うちの息子(娘)はなんで学校行かなくなったんでしょう?」というもの。そこが分かれば、「それなら仕方ない」と思えるかもしれないし、親としても子ども不登校を受け入れられる。しかし、実際は行きたくない理由は不明確なままです。

そこを追及しても、子どもは苦しくなるばかりで、不登校の解決には向かわない。表面的な理由を取り繕っても、それとは別に本当の理由がある場合もこれと同じだ。

自分でも分からないけど、学校には行きたくない。理由が言葉にできない理由の一つに自分のことを変な奴だと思っているというのが挙げられる。

不登校している中学生が話してくれたのは、意味を問うているということ。

学校に行く意味勉強する意味生きる意味生まれてきた意味

答えの出ない哲学的な問いが頭の中でグルグル回っている。そんな中で、

幸せって何だろう?豊かになるってどういうことだろう?勉強して幸せになれるのか?自分が生きていることで誰かの役に立てるのだろうか?自分って何?個性って何?私にそんなものあるの?

さらに悩みが深まり、一人の頭の中で哲学対話がグルグルと回っているのだ。

思春期の若者にとって答えの出ない問いを考え続けるのはとても苦しいことだ。大人でもしんどい。意味を問うには中学生の思考力や知識ではあまりにも考える要素がすくない。だからその問いに飲み込まれてしまいグルグルと同じところをループする。

そしてこんなことを考えている自分は変だと思っている。だって、学校に行っているクラスメイトたちは、そんなこと考えずに、毎日学校に行けている。ある意味うらやましいけど、なんで疑問を持たないんだろうと不思議にさえ思ってしまう。

言われたことだけをやっていく学校に毎日通って楽しいのだろうかと思う。一方で大人はこれらの答えをみんな持っていて立派だと思ってもいる。自分は変だ、他の子とは違う。でも、そう思われたくないから、とりあえずの理由を繕って休む。

学校に行かない本当の理由はお子さんの内面世界で答えの出ない問いを考え続けているからこそなのです。

3問いが深すぎて抜け出せなくなっている

不登校の理由が明確でない場合は、まさに頭の中の哲学対話から抜け出せない状態だ。ここから抜け出すには、この頭の中で起きている哲学対話をすることは良いことなのだと肯定することが第一にあげられる。

心の成長としても、意味を問うことは健全だ。自立のプロセスでは必要なことなのです。ただその考えを深めすぎて苦しんでいる。

そこに寄り添っていく大人が必要となる。「お母さんも昔、自分がなんで生まれてきたんだろうかとか考えていた」とか「自分って何だろうかなんて、未だに分かっていない」という哲学対話に乗っかっていく必要がある。こちらから話しかける必要ななく、子どもさんがぽろっと「学校行く意味あるのかな?」など意味深な問いを投げてきたときがチャンスととらえて話をする。

ただ、これを一緒に住んでいる親がやるのはリスクもたかい。中学生は大人を疑り深く、繊細な時期だからだ。不登校するくらい感受性が豊かなお子さんであれば「はは~ん、さてはお母さんどっかで誰かに入れ知恵されたな」と感づかれてしまう。

そして、「休んでいいといいながら、結局学校に行かせようとしているんだな」と。当事者同士で、このような疑念が生まれてしまうと、返って関係がぎくしゃくしてコミュニケーションに距離ができてしまう。

 4 意味を問う哲学的なグルグル思考から子どもが脱するために

そこで、第三者であるカウンセラーの出番である。

VCAのカウンセリングの考え方はこちらのコラムへ>>>>

不登校の生徒さんが頭の中で考えている哲学対話の原因は自己否定です。

人と比べて自分を変だとか自分はおかしい、狂っているという思いがあるから、自分自身が意味を問うていることを認めたくないし、人にも話せない。誰でも、意味は問うているし、問わずに生きているとしたら、それこそ心配なことである。その時期が早すぎる、または問いが深すぎるからこそ、精神的に疲れて学校に行くということすらできない状況になる。

哲学対話から抜け出すための着地点は「私は私でいいんだ」という自己肯定の視点を持つこと。この肯定を親でも学校の先生でもない大人からもらうことは、本人の自分に対する責めや、自分はおかしいと思っている認知を変えることができる。そして、これこそが、言葉になかなかできないけど、不登校する中学生たちが求めているもんである。ここが満たされると、不登校は解決に向かっていきます。

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1週間で不登校に対する考え方が変わり、お子さんとの関わり方が改善します

不登校やキャリア教育に関するコラム 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス 📘 勉強嫌いの不登校の子が「勉強したい」と思うまでのプロセス

こんにちは。ビジョナリーキャリアアカデミーのカウンセラー、大久保です。このコラムでは、不登校になり勉強に関心を失っていた中学生が、どうやって再び「勉強したい」と思えるようになったのか。その変化の背景を、カウンセラーの立場からわかりやすくお伝えします。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

不登校になると、なぜ勉強が嫌いになるのか?

不登校の子どもたちの多くは、「勉強が嫌い」「やる意味がわからない」と口にします。でも実は、「やらなければいけないと思っているのに、できない自分がつらい」という葛藤を抱えていることが少なくありません。

中学校に上がると、授業の難しさ、スピード、周囲との比較などで「分からない」が積み重なっていきます。その結果、「できない自分」に対して自己肯定感を失い、勉強への苦手意識が強まっていくのです。

変化のきっかけは、「勉強を押しつけない」こと

ある中学生の男の子も、当初は勉強を完全に拒否していました。小学校ではリーダータイプだった彼ですが、頑張り続けて疲れたのか、中学に入って不登校に。勉強の話になると表情が曇り、話題にするのも避ける状態でした。

でも、家庭ではあえて勉強のことを問い詰めず、「まずは本人の安心感を回復すること」を大切にしました。結果として、徐々に生活リズムが整い、自分の興味を話すようになってきたのです。

雑談の中に見つけた「やってみたい」の芽

きっかけは、ふとした雑談でした。テレビで英語が流れたとき、「なんて言ってるか分かる人ってかっこいいよな…」とポツリ。そのとき、「じゃあ、ちょっとだけ勉強してみる?」とは言わず、「ほんとそうだね〜」と受け止めただけでした。

でも数日後、自分から英語のアプリを開いていたのです。無理に勉強をさせようとしなかったからこそ、「やってみようかな」という芽が出てきた瞬間でした。

勉強への意欲は、安心の土台の上に育つ

「勉強しなさい」と言われるほど、やる気がなくなる──これは思春期のあるあるです。けれど、自分の気持ちを受け入れてもらい、自分のペースで過ごせる安心感があると、子どもは自然と前を向こうとします。

「やらされる勉強」から「やってみたい勉強」へ。その変化の出発点は、親やまわりの大人の「関わり方」だったのです。

まとめとひとこと

勉強嫌いの不登校の子どもも、自分なりのペースで、再び「やってみようかな」と思えるようになります。無理に引っ張るのではなく、「いまここで安心できる関係性」を築いていくことが、次の一歩を支える力になります。

💬 今日のひとこと(格言)

「子どもは、“安心”の中でしか前を向けない。」

― 精神科医・毛利子来(もうりたねき)

文・大久保智弘 公認心理師/キャリアコンサルタント・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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2025年4月21日配信

新学期が始まり、生活のリズムが少しずつ整ってきた頃。でも、なんとなく不安定な子どもの様子に、つい心がざわついてしまう。そんな今だからこそ、あらためて“親子の距離感”について考えてみませんか?

春の始まり、親の心は揺れやすい

新学期が始まり、少しずつ日常のペースが戻ってくる頃。その一方で、子どもの様子に一喜一憂し、

「ちゃんと学校に行けるのかな」「このままで大丈夫かな」と、心がざわつく日もあるかもしれません。

距離を詰めてしまうのは、”心配”の裏返し

そんなとき、親はつい距離を詰めてしまいがちです。

「今日はどうだった?」「勉強はしてる?」と声をかけるのも、

本当は心配だからこそ。「見守りたい」ではなく「見逃したくない」という想いがあるのだと思います。

でも、その距離の詰め方が、子どもにとってはプレッシャーになることもあります。

子どもは親の気持ちを敏感に感じ取ります。

だから、何も言われなくても「ちゃんとしなきゃ」と無言の期待を背負ってしまうことがあるのです。

まずは自分の「心配」をやさしく見つめる

カウンセラーとして多くのご家庭と関わってきましたが、

“距離の取り方”に悩まない親はいないのではないかと感じています。

私も2人の娘の父親であり、わが子たちとの距離の取り方は日々悩まされます。

特に上の娘が思春期に差し掛かる時期なので、いろいろと考えさせられます。

近づきすぎれば干渉になり、離れすぎれば無関心に見えてしまう。

そのちょうどいい距離は、いつも手探りです。

今、親として何かしてあげたい気持ちがあったら、

まずはご自身の気持ちをノートに書いてみたり、信頼できる人に話してみたりするのも一つの方法です。

不安が少し軽くなると、子どもに向けるまなざしにも、ふっと余白が生まれます。

ちょうどいい距離は、自分の中にある

近づきすぎず、離れすぎず。

親子の距離は「正解」があるわけではありません。

でも、自分自身の心の状態に気づいてあげることで、自然とその距離感が見えてくるものです。

そして、こんな言葉もあります。

“子どもは、放っておいても育つ。でも、見ていないと育たない。” ― 小児科医・毛利子来

文・大久保智弘 公認心理師・スクールカウンセラー/2児の父。 不登校や思春期の親子支援を専門に活動中。

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不登校のお子さんとのコミュニケーションが回復する3つのステップ

不登校が起きるのは子どもの中に何らかの言葉にならない言葉が生まれてしまったからです。その言葉を聞き出すことができれば、解決が早いのですが、事態はそう単純ではありません、むしろ、子どもとの会話自体ができなくなっている親子もたくさんいます。この状況が長く続くと当然不登校の状況も改善しません。仮に学校に行き出しても親子の関係性が悪いというのはその後も問題として残るのです。ではどうすれば子どもとコミュニケーションが取れるようになるのか。ここでは具体的な3つの方法をお勧めします。

コミュニケーションを取り戻す ステップ1 声がけ—あいさつと体調を気遣う言葉

不登校の初期はなかなか言葉を発することさえありません。部屋にこもったまま、食事も別々。声をかけてもそっけない返事が返ってくればいいほうで、人によっては2週間くらい息子の声を聴いていないという方もありました。言葉を発しない理由は、親と話をすると「学校に行け」とか「勉強しなさい」と言われるのではないかという思いがあります。また、学校に行けていない自分が家でご飯を食べてもよいのかということも疑問に思い、自分の情けなさと、親への申し訳なさとが入り混じる中、それでも頑張ることができない自分を責めているのです。そんな状態だからこそ言葉を発しないのではなく、発したくても発せないのです。

ではどうやって子どもコミュニケーションをとるのか。最初はあいさつと、体調を気遣う言葉です。上にも書きましたが、食事することすら罪悪感を感じているので「ご飯食べる?」も最初は結構きつかったりします。反応があってもなくても、声をかける。それで反応があればよいですが、反応がなければせいぜい2回くらいにしておかないと、親御さんの気も滅入ってしまいます。初めのうちは、お互いにびくついてなかなかよそよそしくなるとおもいます。でもそこから始めましょう。それまでの日常とは異なるのですから、それは仕方のないことなのです。新たに関係を創り直すくらいの気持ちでちょうど良いところです。

体調を気遣う言葉をかけるのは、子どもに対して「あなたのことを心配しているんですよ」というメッセージになります。不登校している子どもにしてみれば、そういう言葉がけに助けられているところがあります。

コミュニケーションを取り戻す ステップ2 話題を広げる—何気ないニュース 昔話

少しずつ言葉が出てくるようになると、話題を少し広げます。最近のニュースの話など、第三者の話をします。無理に子どもさんの興味関心に合わせるようなことをはしないで、お母さんの趣味だったり気になることだったりを話します。「そんなのどうでもいい」と思いそうな話題をお勧めします。なぜならどうでもいいような話じゃないと付き合ってくれないからです。「なんで不登校したの?」「部屋にこもって1日なにしているの」「いつになったら学校に行くの?」なんていう話題は本人にとってはどうでもよくない話題で、そういったところに触れてほしくないから黙っている側面があります。ちょっと話ができるようになったからと言って、学校や勉強、今後のことについて話題を振るとまただんまりを決め込まれてしまいます。もちろん、子どもさんのほうから振ってきたのであれば話をすることはアリですが。

あとは、昔話です。これは家族の昔の話だったり、お母さんやお父さんの昔の話などです。本人が小さかったころの話などです。自分が話題に出てくると意外と食いついてきて「あのときは」と話しだしたりもします。ニュースなどの表面的な話題ばかりでははなしが深まりません。とはいえ、一番ききたいところを話題にもできないとなった時に、家族の昔話は有効な話題の一つです。うまくいくと、笑いながら話しができます。

コミュニケーションを取り戻す ステップ3 話を聴く

不登校のことで相談に行くと「お母さんがお説教したりしないで、お子さんの話を聴いて差し上げてください」なんていうアドバイスをもらいます。確かに話を聴くことは効果的です。本当に話すべきことを話す相手というのは「信頼できる」存在です。小さい子どもは無条件に親を信頼しますが、思春期になると親を一度疑います。一人の人間として見るわけです。その時に信頼できるかどうかを見定めています。生みの親であっても信頼できないと子どもが判断したら、子どもは大事なことを話しません。話が聴けるというのは信頼関係が気づけているからこそできる芸当なのです。

では、信頼関係を築くために必要なことは何かと申しますと、それが雑談なのです。えー?と思われるかもしれませんが、雑談できるかどうかが信頼できる相手になるかどうかの分かれ目なのです。これまで不登校の親子に関わってきて、うまくいくケースは親子で雑談できるケースです。これがない場合は、話題がないのでいきなり本題に入るか、話をしないのどちらかしかありません。多くの子どもは話をしない選択をします。そうやってコミュニケーションが断絶をすると解決には向かいません。

ステップ2で「家族の昔話」をすると良いと申し上げたのは、雑談の話題になりうるからです。共通の趣味がなくても、子どもさんと好みが違っても、家族の昔話は共通の経験ですから、話として成り立ちやすいのです。この雑談ができると、話を聴くことに足る存在として子どもが親を認めます。するとあとは、子どもが話をしてくるのを待つと良いでしょう。雑談ができるようになれば、向こうから話をしてくることも珍しくなくなります。そして「あのね・・・」と意を決して話をしてくれるようになります。

雑談ができ親を信頼するようになると、子どもの行動が変化します。それは学校に行くこと以外は普通に家で生活するようになるということです。生活リズムも朝起きて夜寝ること、食事もとる、場合によっては家の手伝いや勉強しだしたりするのです。ここまでの行動が見られると親を信頼することができているので、話してくるのを待たずしても、「学校に行けなくなったことの話してもいいかな?」と話題を持ち出すこともできます。

親御さんに自分の辛さやさみしさを受け止めてほしいというのが子どもさんの本音です。しかしそれができないで苦しんでいるのです。言葉をかけ続けること、そして雑談することを通して、子どもさんの気持ちに寄り添うことができれば、不登校の状況は確実に改善していきます。

不登校したお子さんになぜコミュニケーションが必要か?

それは自己肯定感との関係があります。不登校をすると学校に行けない自分を責めて自己肯定感がさがります。不登校する理由は様々ありますが、人間関係で起こることも少なくありません。いじめやイジリ、ちょっとバカにされたりする、そんなことが積み重なっていけなくなるのです。バカにされないように、文句言われないようにと気を付けながら学校に行くことから緊張感が生まれ精神的に疲弊して学校にけなくなるということが考えられます。不要な緊張ほど人を不幸にするものはありません。不登校になったことでも肯定感が下がるし、場合によってはそこに至るプロセスで自己肯定感が下がっているということもあります。もともと、下がっていた肯定感が不登校をすることでさらに下がってしまいます。このネガティブな決めつけは不登校が長引くと、自身のセルフイメージとなってしまいます。そうなると、「自分のダメさ」を集めるようになります。言い換えると悪いところばかりに目が行くようになるということでもあります。自己肯定感を低下させるのは自分を責めることです。ネガティブな決めつけによるセルフイメージが出来上がってしまうと、その子はできない自分ばかりを見ようとしてしまいます。しかし、自己肯定感が低いままで不登校が解決することはありません。不登校の解決は学校に戻ることにとどまらず、自分が自分で在ることを良しとして、自立して前に進んでいくことにあります。単に学校に戻すだけでは解決に至るどころか、余計に悪化する(再度不登校になる、のちに引きこもるなど)ことさえ考えられます。不登校になった児童・生徒の肯定感を高めることは、その後の人生においても重要なことです。

自己肯定感の回復にとって最も有効なのが会話なのです。何気ない会話ができる存在がそばにいることで「自分がここにいていいんだな」という存在にたいする肯定が強まります。何かができるからすごい、学校行くから良くていかないからダメ、ではなくて、自分自身はそのままでいいんだということを身に染みて感じてもらうことで、自己肯定感が回復し、自立の道を歩んでいくことができるようになるのです。…

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