不登校の中学生がなぜカウンセラーには本音を話すことができるのか?

不登校のお子さんのカウンセリングの問い合わせは母親から入ってくる。現状の生活、学校に行かなくなったころの状況、親が考える原因と思しきこと・・・

そういったことを電話やメールで伺う。

そこにある問題は、すべて母親からの視点である。当事者である中学生が述べた言葉は断片的にしか語られない。

不登校しているかどうかにかかわらず、中学生は親に本音を話さない。少なくとも、不登校になりたての時には、日常会話すらやらない。

だから、親とは違う立ち位置から話をする人間が必要になる。

それがカウンセラーである必要はない。

だが、カウンセラーと同じような人間を見つけるのは難しい。

何が言いたいかというと、親、教師、親せきは、不登校している中学生のことを知っている。

先入観がある人間に対しては、話す側(中学生)も先入観を持っている。

すると言葉を選ぶ。

こういうふうに言うと、相手は否定してくるだろう。

こんな話をしても信じてもらえないだろう。

そういった思いがあると、考えが浮かんでも、話をしない。

カウンセラーは全くの部外者だ。

家族でも友達でもない。ただの通りすがりの大人である。通りすがりの大人と違うのは、聴く技術に長けていること。

そして互いに第三者である。守秘義務も守られる。

話を聴くプロが秘密厳守でひたすら話を聴いてくれる。

わがままで反抗期の中学生の失礼な態度や言葉遣いも気にしない。

当然、批判や評価が挟まれない。こうしたほうがいい、あーしたほうがいいという中途半端なアドバイスもしない。

ただ、ひたすら聴く。

誰にも言えない思いを言葉にしていくプロセスは、精神衛生をよくする効果がある。

カウンセラーとクライエントの関係は契約関係である。

万が一、合わなければ、カウンセリングを断ればいい。もともと関係がない相手だからあとくされなく離れられる。

カウンセラーのパーソナリティは基本的には受容的である。そして、焦らない。

だから相手軸(中学生軸)に立てる。上から目線な物言いや急かす足りすることをするカウンセラーはいない。

受容的、批判、評価なし、第三者、先入観がない・・・

こういった要件のもとに話しを聴くことを繰り返していくうちに、気が付いたら何でも話をしている。

本音を聞き出そうとは特にしない。

ただ、良い関係を築くこと、そして相手(中学生)を一人の人格ある存在として敬意をもって話を聴くこと。

この心がけによってできたリレーション(信頼関係)が、中学生の心を強く、しなやかなものに造り替えていく。


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