「あ~あ、好きなオーディション番組が終わってしまった。去年のほうがよかったな。JO1の方がなんか、自分のオシもいたから見ていて楽しかった。っていうか、今楽しみがないんだよね。だって、現場もないし、コンサートって言ってもオンラインでしょ。オンラインのコンサートってYoutube見ているの変わらないから、ちょーつまんないの。」
不登校の高校生のカウンセリングの一部。正確に言うともう彼女は不登校ではなく、引きこもり気味なだけ。勉強の話は一切出てこない。中学時代は1年の後半から学校にほとんど登校することはなかったが、通信高校に入った。
不登校の子を持つ親にとっての悩みの一つが勉強。中学時代にまったく勉強しなかったが、彼女は高校生になって勉強するようになった。理由の一つは、高校を卒業するためだそうだ。分からないなりに自分で調べて与えられた課題をこなしている。
順調に見える彼女の高校生活にも大きな問題がある。それは進路だ。
不登校の子をもつ親にとって勉強は悩みの種だ。特に、中学2年や高校2年の後半、中学3年、高校3年など受験に関わってくる時期に不登校が始まってしまうと、このままどうなってしまうのか非常に不安だ。
学校側は担任も、スクールカウンセラーも口をそろえて、「今はゆっくり休んで、無理に登校させたり、勉強のプレッシャーをかけないように」という待ちのアドバイス。
親の不安には寄り添ってくれない。そんななか、子どもの進路、受験のことが頭をよぎる。こっちはこのままこの子がどうなってしまうのか、社会に適応できないんじゃないか。不安はどんどん増すばかり。
生徒にとっては学校に行くこと、ひいては朝起きることすらままならないのに、受験勉強なんか考えることは辛いこと。確かに、余りプレッシャーをかけたくはない。話題として敬遠しがちでもある。
しかし、本人も親も、次の進路を決めるこの時期に、悠長には構えていられない。現実問題として「進路をどうするか」が突き付けられる。
本人も何も考えていないわけではない。
むしろ、しっかり考えているからこそ悩んでいるという見方もできる。
進路の悩みはある一つの葛藤でもある。
周りの期待に応えるべきか。
自分の本心を貫くべきか。
この2つだ。この葛藤がうまく言葉にできず「何をしたいか分からない」という表現になる。
本当にやりたいことと親をはじめとした周りの期待のずれが苦しみになってしまう。
この本音は親が聞き出すことは至難の業である。
親に自分の本音を言うと、反対される。そしてその反対は自分の存在否定になる。
第三者が必要になるのは、先入観なく聴ける人が必要だからだ。
不登校の生徒が進路について全く考えていないということはない。
むしろ、毎日元気に学校に行って、クラブをして友達と遊んでいる子の方が将来について真剣に考える機会を逸しているとも考えることができる。
進路を考えるのが苦しい。
うまく言葉にできず、やり場のない気持ちが自責の念を強める。
死にたいという言葉を吐く不登校生もいる。
彼らは自分の将来に希望を持てないでいる。
不登校の解決の肝はここにある。
つまり、将来への希望である。
これさえ言葉にできれば、学校に行く行かないは別として、不登校は解決したと考えても良い。