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生きる意味

不登校のなかで「自分には生きている意味がない」と思う

不登校を始めてある程度の時間が経つと、学校に行かない自分を責める気持ちが強くなります。

学校に行かない自分には価値がないと思いこんで時にカウンセラーに対して

「私は生きている意味がないんです」

とはっきりと言葉にする人もいます。

これまでも、不登校している生徒だけでなく、普通に学校に通っている生徒さんでも、自分自身の生きている意味を見出すことができず、死のうとした人の話を何人も聴いてきました。

橋の上に行って飛び降りようとした

何も持たずに冬の山の中に一人で行った

首を吊ろうと思って、ロープの代わりになるものを探した。

包丁を取り出して自分の胸に突き立てようとした

踏切から線路に侵入して横になった

あと一歩のところで命を落とすような行為をしている生徒さんは実は結構いました。しかし、なぜだか分からないけどやっぱりやめようと思ったといいます。

死ぬのが怖い、家族の顔がよぎった、人に見つかってしまった、死体がぐちゃぐちゃになったら迷惑だろうなと思ったとか、なにがしかの思いとどまらせる気持ちがはたらき、死ぬのを辞めています。

自分にたいして「生きている意味」を問うとき、その答えは必ず「意味がある」なのです。しかし、不登校をしていると特に、学校に行かない、社会に適応できない自分はダメな存在と決めつけてしまっているので、自分には生きている意味がないと決めつけて、自殺を図る。でも死ぬことができなかった・・・

一度自殺を試みて、うまくいかなかった場合に、再び自殺を図ろうと思いがあっても、実行に移すまでには結構な時間がかかります。

そして辛いのことはそこから始まります。それは

死ぬことすらできない自分に何の価値があるのか?

とさらに責める気持ちが強くなるのです。不登校が長く続く場合、この自分を責める気持ちと戦っているため、一日中家で、布団のなかにいたとしても、疲れてしまうのです。自分を責める声が、何をしていても聞こえてくるのです。これほど辛いことはありません。こんな時に、人は前向きに考えたり、何か別のことをしようという思いにはなりません。

では、どうするのがよいのか???

それは、自分を責めている気持ちを認めることです。責めたくなる気持ちに対して自分で共感をしていくことです。そんなことできるわけないと思われるかもしれませんが、生きる意味、生きている意味を問うているときに、下手なプラス思考はかえって危険です。問題の本質から目をそらすだけで、返って辛くなってしまうのです。

だから自分の気持ちをそのまま認める。言葉で書くのは簡単ですが、実はこれが結構難しい。「そんなの無理」と思った方はまず、他人からしてもらうことです。

この生きている意味をとうこと、自分の価値のなさを責めることから解放されることが、実は学校に行くいかない以上に大切なことなのです。ここをクリアすることができれば、学校に行かなくても人生を切り開いていく力を得ることができます。

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生きてる意味ってあるんだろうか?―不登校しながら考えていませんか?

不登校の中で苦しくなる問い―生きる意味があるのか?

生きる意味があるのだろうか?

こんなことを自分に問いかけたことありますか?

この問いの答えはなかなか出すことが難しいです。そして、問いかけたことで頭は考え続けますが、ネガティブなところに行きついてしまいます。そして苦しい気持ちになります。不登校していてただでさえ苦しいのに、こんなことまで考えてしまう自分はおかしいと思うことさえあるのではないでしょうか?

この問いかけをしてしまう心の中には

生きている意味がない生きている意味が分からなくなった生きているのが辛い死にたい

こういった思いがあるのではないでしょうか。

いずれにしても、一人でこの問いを考えることは苦しいことです。

それは、答えが出ない、そして誰も教えてくれない問いに一人で立ち向かわなければならないからです。不登校している中学生や高校生、場合によっては小学生も自問している可能性があります。

そして、自分でもうすうす分かっているのは、「生きている意味があるのか?」と自分に問うた時の答えはかならず「意味がある」なのです。「意味があるんだ」と答えたいのです。でも、その答えに納得できない、自身が持てないのです。

それは生きている意味がある理由を明確に答えられないからです。「勉強ができる」「クラスで人気がある」「スポーツが得意」「絵がうまい」「歌声がきれい」など何かしら目に見える根拠となる理由が欲しいのです。

ところが、この自分に生きる意味を問いかけるときというのは心の調子が絶不調の時なのです。

「勉強したくない」「学校に行きたくない」「人に会いたくない」「何もしたくない」

それまで楽しいと思っていたことや、充実していると感じていた日々が突然、色あせてしまい、自分にとって距離のあるものに思われるのです。世界からの疎外感を感じてしまうのです。「精神的な孤独」状態に陥って、唯一無二の存在である自分自身と向き合う。そのときに「私って生きている意味があるのだろうか?」と問いかけることが始まります。

この問いと向き合うことは苦しいです。でもそんなことを自分で考えているなんて人には言えません。「精神的な孤独」状態を知らない人にとってはどうでもいいことなのです。でも、この問いにハマってしまう人にとってはとても辛い自問の日々が始まります。

そして、自分が生きる意味を証明するために、何かを頑張ろうとするのです。そして、ある程度のところまで行くと「虚しさ」を覚えます。自分が生きている意味はこれじゃない。これじゃ証明できないと。自分を責めることが始まり再び問いと向き合います。

不登校をしたり、引きこもったりしている人の多くがこの問いと向き合い、もがき苦しんでいます。

生きる意味を求める問からの解放

不登校をして、うつになった中学生。彼女は約3か月の間いと向き合いました。学校に行かない、勉強はしない、かといってこれと言って打ち込める何かがあるわけでもなく、ネットで動画をみたり、ゲームをしたり、見ず知らずの人とチャットをしたりしながら過ごす日々。こんな人生に何の意味があるのだろうかと悩み苦しんでいました。

時には「私は生きる意味がない」と自殺しようとして試みたこともあります。でも、「ここで死んだらもったいないな」と思ったそうです。その時は何がもったいないのかはわかりませんでした。

その間、私ができたのは話を聴くだけ。時には「ねえ、どうしたらいいの?」と迫られることもありました。そして、とうとうセッションにも現れなくなりました。どうしているのかなと思っていましたが、約1か月のブランクの後、連絡がありました。生きる意味を求める問から抜けていました。

何があったのかと話を聴くと一言「馬鹿らしくなった」と。

「別に意味なんかなくたって、楽しいことがあればそれでいいやと思ったんです。だって、自分の人生なんだから、意味はあってもなくてもどっちでもいい。それよりも楽しい時間がたくさんあればそれで充実しているから気にしないことにした。というより気にならなくなった。もし、意味がないとしても、こうして生まれてきたんだから仕方ないじゃんかと思うようになったんです」

「意味があるかないかにこだわって何もしないよりも自分が楽しいと思うことをやっていればそれでいいので、この夏は思いっきり遊ぶことにしました」

それが彼女の答えだった。今でも彼女とのセッションは続いている。でも、もう自分の生きる意味を問いかけて苦しい状況の時とはまるで違う。

生きている意味があるかないか。それを考えることも時には必要なのかもしれません。でも、その問いに縛られて苦しむことにあまり意味はないのかもしれない。

最近「生きる意味があるのか?」を自問して苦しんでいる人からの相談が多いので、感じるところを書いてみました。

最後までお読みくださりありがとうございます。

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