不登校の解決は学校に行くことではない。不登校は表面的には学校に行かなくなるという状況におちいる。しかし、児童・生徒の内面は複雑で、学校に戻すことが必ずしも正しい方向性かというとそういうわけでもない。

これまで、教員時代から不登校の中学生、高校生、時に小学生や大学生に関わってきて、不登校には大きく3つの課題があることが分かってきた。

その3つとは、心理面、生活面、進路面である。

これはそれぞれが独立してある課題ではなく、連動している。その中で目の前の生徒が最も困難な状況にあるところをしっかり聴き取って、解決の方向性さぐっていく。

心理面の課題

不安な状況がある。友達関係、勉強、学校の環境など。学校に起因するできごとに対して、不安を覚えること。ただ、これ自体は大したことがない。表面的なことである。不登校を正当化するために子どもたちが理由付けをするときにでてくるのがこういった話題だ。本人にとっては深刻だが、不登校の決定的な要因ではない。心理面の課題の本質は自責である。つまり、自分はダメな存在だという否定感がある。だから、うまくいっていることや、成長してできるようになったことには目がいかず、未熟な自分を見つめる。その結果、自分を責めることで、かなり神経をすり減らす。その上、学校にも行けなくなるので自責は非常に強い。しかし、自分を責めていることを自覚することがない場合もある。「担任が嫌い」「いじめてくるやつがいる」「勉強の教え方が悪い」などだ。他人に対して否定的な目が向いているうちは自責を認知しない。

こういう発言に親や教師が振り回されて対応する。うまくいけば生徒本人が言う「原因」は取り除くことができる。それでも学校には行かない。それは自責している自分を見ないための方便にすぎないからだ。

心理面の課題への対応

「なぜ学校にいかないのか?」というのが、親も教師も子どもへの問いとしてある。子どもとしては不登校する自分を正当化しようと、何かありそうなエピソードを話す。事実の場合もあるが、決定的な原因ではない。この問いかけがまずいのだ。

最初に問うべきは「学校に行かない自分をどう思うか?」である。不登校の初期段階であればまず肯定している人はいない。

「学校に行けない自分は怠け者だ」「自分は人より劣った人間」「みんなが当たり前にできることができない、ダメ人間」などと自身の存在を否定することを伝える。言葉になればよいが、無言で長い沈黙がある場合も珍しくない。

自責に気づくこと。そうしないとここを外せないが、子ども自身がこのことを自覚することは、変化を促す。しかし、残念ながらこれが表面的には決して喜ばしい変化ではないことが多い。次に出てくるのが生活面の課題だ。

生活面の課題

不登校の子どもの多くが朝起きられなくなる。朝食を食べずに昼近くまで寝ている。そのうち、昼夜逆転していく。睡眠や食事が不規則になる。中にはお風呂に入らないというのも出てくる。また、学校に行っていないことが恥ずかしく、昼間外を出歩こうとしない。だから運動不足にもなる。食べ盛りの10代が食事をとらない、運動をしない。学校に行っていれば、普通にできる、夜に寝て朝起きる、食事を三食とる、適度な運動をするということが、崩れてしまう。病気になることはないが、体力が落ちたり、ひどい場合は、発育にも影響する。

ちなみに、食事をとらないで激やせした、過食嘔吐を繰り返す場合は、私のカウンセリングの守備範囲外である。命に係わることだから、早急に医者にかかることをお勧めする。かかりつけがない場合は、養護教諭に医療機関を紹介してもらうべきだ。子どもの意志を確認している場合ではない。(詳しくは別の記事に書いているのでそちらを参照ください)

生活面の課題への対応

実は心理面の課題よりこちらのほうが難しい。というのは、本人が努力しないといけないからだ。不登校の子どもに努力するというのはかなりの重荷である。当然ながら中学生や高校生であれば、規則正しい生活をするほうがよいこと、適度な運動が必要なことは分かっている。分かっていてもなかなかそれができないでいる。だから生活を戻すこと自体に抵抗はない。

私がとる方法はカウンセリングを午前中に入れることである。初めからはできない。だから少しずつ、やってみる。昼や夕方、場合によっては夜やっていたカウンセリングの時間を午前中に入れる。それだけでも随分改善する。週に1回でも朝起きるということに注力すると生活のリズムがそこから変わってくる。朝起きて何かしらの活動をすると時間を有効に使ったという感覚が強くなる。

朝起きてもやることがない、みんなが学校に行っている時間に自分は家でだらだらと動画を見たりゲームをしている。そんな罪悪感に耐えかねて寝ているということも少なくない。

だから朝、学校には行かないけど自分は何らかの生産的なことに時間を使っている。そういう実感を持つと、午前中の時間をうまく使える。暇だから勉強するなんて言う子もいた。

進路面の課題

そしていよいよ本丸が進路である。進路のことで悩んでいない中高生はいない。不登校している以内に関係なく、進路は大きな悩みだ。

にもかかわらず、相談する相手がいないのが現状である。ましてや学校に行っていない中高生にとって自分の将来を考えるなんて負担が大きいし、親も教師もそこになかなか踏み込めない。下手に「これからどうするの?」なんて言ってしまうとケンカのもとである。大人は心配でたずねているだけだが、子どもにすれば、責められているように感じてしまうのだ。

不登校している中高生にとって進路のことは大きな課題の上に、自分一人では解決不能なことである。学校に行っていれば、先生や友達とそういうことを話す機会はあるが、家にこもっていてはそうはいかない。そもそも自分が社会に適応できるなんて思ってもいないのだから、「将来やりたいことがない」という言葉が出てくる。

私が一番重視しているのがこの進路の課題である。心理面、生活面の課題が改善していなくても、進路面が明確になれば、前に進んでいく。その結果として、生活面がただされ、落ち込んでいた状況から元気になって前向きに行動できているという自覚が心理面の課題を克服する。

進路面の課題の話題が出てくればかなり前を向く力がついている証拠である。しかし、実際は進路の話を最初からしてくれる中高生はいない。将来を思い描けるほど元気でないからである。仮にいたとしても、そこに向かって行動ができるほど元気ではない。むしろ、逆で「死にたい」とか「自分なんかいない方がましだ」と自殺をほのめかすようなことを言うこともある。この言葉が出るということは、私に話す前に本気で死について考えた証拠である。具体的に行動に移した人もいるが、怖くてやめたとか、死のうと思って良い方法が思いつかなかったと、最後の最後で思いとどまっている。その一連のエピソードを聴き取る必要がある。ここを否定してしまうと、自殺への思いがなくならない。もっとも慎重さを要するところである。

進路面の課題への対応

不登校の課題の本丸だが、初めからここの話にはならない。しっかり信頼関係をつくる必要がある。そして、どんなに無理に思える夢でも一緒に考えていく必要がある。大人から見れば「それは無茶だ」とか「今からでは間に合わない」ような途方もない目標を掲げる。だがひとまずはそこを受け止める。一切バカにしない。むしろそれができるとこうなるね、こういうこともできそうだねと思いっきりイメージを膨らませていく。そうするとどこかの時点で「でも」と切り返してくる。この「でも」が非常に大切である。というのは、ここで切り返すことで等身大に戻っていくからだ。

しばらくは夢と現実を行ったり来たりする。そこにぴったりと寄り添う。寄り添うというのは否定せずにただ聴くこと。共感も不要で下手な肯定や励ましもしない。「そうなんだ」ということで話を聴いていく。そうすると自ずと何かを頑張ろうという思いが出てくる。そうやって前向きな要素が出てくる瞬間がある。初めは抽象的だったり、本人にはやる気はないけどできたらよいなと思っていたりする。それが具体的になってくる。進学する学校名や取り組むべきタスクが子どもの口から出てくる。すでに始めていたりもする。

そして、この話と同時並行で、カウンセリングの初期に自分を責めていたことを振り返る。随分と元気になったことが実感できる。その時に学校に行っているかどうかは人による。しかし、学校に行っていなくても、不登校を前向きにとらえており、次のステップに向けての努力が始まっていく。