中学不登校の通信高校生が
大学受験をしようと思ったワケ
中学に通ったのは1年生の1学期だけ
小学校時代、学校でも習い事でもトップで、周りからも慕われる小学生でした。クラスでもリーダー的な存在となりました。中学になり、さらに頑張ろうと、小学生時代から続けていた体操に加えて、卓球部にも入りました。成績も優秀な彼女は、そういう自分を保つために必死でした。そして迎えた中学最初の定期テスト・・・そこで彼女は力尽きてしまい不登校になりました。
現実逃避のためのアイドルの追っかけ
私のところにやってきたときは、不登校をはじめて一年以上が経っていました。そのころ彼女は、アイドルオタクとして、学校に行く代わりに「現場」に良く出かけていました。コンサートや舞台があるとなると、北海道、仙台、大阪、名古屋と奔走しました。テレビ出演の予定も入手して、出待ちするために、何時間も寒空のもとにいるということもありました。
学校に戻ること、勉強すること、将来の自分を考えることを一切せず、時間と労力とお金を使いまくって遊んでいた。
とりあえず高校には行く
中学には通わず、卒業することだけは決まる。しかし彼女の進路は決まっていない。学校には相談することはなかった。とりあえず高校は行くとは言いながらも全日制には行くことはできないということ。彼女の母親が集めてきた通信制の高校の資料から説明会に出向いてある高校に行くことを決めた。とにかく楽に、とにかく手を抜いて卒業できる・・・彼女が高校を選ぶ時の基準はそんなものだった。
高校生の自覚はない
通信制の高校に進学するが、「高校生」という実感はない。コロナのまん延もあり、自粛で社会全体が家にいることになった。彼女が好きなアイドルの活動もほとんどなくなり家にいる。これが功を奏した。アイドルオタク(ある種の中毒)から抜け出すきっかけになった。
しかし、高校卒業後にどうしたいという思いもなく、ただ課題をこなす日々。それも適当に。
親御さんも、カウンセラーの私も進学をきっかけに何か変わるかと思ていたが、それは期待外れだった。この先どうするのかという問いを彼女がなかなか受け付けない。アルバイトを始めても続かない。彼女の中で「ダメな自分」が再構築されていく日々にただ寄り添っていくしかなかった。
きっかけは適当に聴いていた動画の授業
ある日、いつものようにけだるい感じで高校の授業を視聴していた。「よく生きるには?」という倫理の授業だった。彼女はこの授業を聴きながら自分が肯定された思いになった。
生きる意味を問い、自分の存在価値を問い、苦しみ、そこから逃れるためにアイドルを追いかけていた日々が肯定されたような感じがした。
自分も生きていていいんだということを初めて実感した。そしてもっと人と話をしたい、自分が味わったこの肯定される感じを他の人にも味わってほしい。そうして彼女の大学への挑戦が始まった。
自分を肯定したくても、肯定できない。肯定する材料がない彼女にとっては、カウンセラーの言葉は遠く、その時そのときはなんとなく前向きになれても、うまく自信を持つことができなかった。それが授業を通じて前を向き、大学進学を志すようになる。
周りの促しがなかったかと言われると、まったくないわけではないと思う。家では大学に行くことが話題になっていたこともあるようだ。ただ大事なのは、周りの顔色を窺ったり、親を喜ばせるためだったりではなく、自分が学びたいと思うまで彼女の変容を辛抱したことにあると思う。家族を含めて、どんなに道を外れても見守ってくれる大人がいたことが功を奏したのである。
カウンセリングが何か役に立ったというよりも、家族以外の大人との関係性が薄い彼女にとって、第三者的な大人に考えたこと、気持ち、今の自分の状況を話せる環境が必要だったのかもしれない。学校に行っている子は学校の先生、塾の先生、習い事なんかの指導者などいろんな大人がいるが、不登校している子どもにはそういった働きかけは少ない。特に自分自身の存在を問うているような状態の子に、何かを身に着けたり上達するように指導するような場は酷である。カウンセラーの必要性を感じつつ、大学受験する彼女の背中を軽く支えているのが今の私の仕事である。