不登校している中高生が得ていること

不登校で得ているものはたくさんある

1自分という存在の確立

2精神的な強さ

3これからの生き方への真剣な問い

4自分と向き合う力です。

学校に行きながらこれらを考えることもできますが、正直いまの中学生や高校生が置かれている状況はとっても忙しいです。宿題やクラブに追われています。友達との付き合いもあります。定期テストもあれば学校の行事もあります。課されていることが多すぎるのです。自分のことを考えるまもなく、次から次へのタスクをこなしているだけで、自分と向き合う暇がありません。

そして卒業が近づいてくると、突然、進路について考えるように言われます。そこで指標となるのが学力です。ただこれは試験をパスするための一つの要素にすぎません。大切なのは何のための進路選択なのか。自分にとってどういう意味があるのか?を明確にしておくことです。ここがあいまいな考えのまま、学力、偏差値だけをみて進路を選ぶことは、不登校するよりもリスクが高いと私は考えております。

1つずつを見ていきます。

1 自分という存在の確立

これが何を意味するかというと、他人の評価を気にしない、顔色を窺わないとうことです。自分の判断で自分の行く先を決めていくことが大事になります。そのためには、自分が自分であっていいという肯定感が必要です。

「自己肯定感」という言葉が最近よく用いられますが、不登校は自己肯定感が下がっているように見えますが、よくよく話を伺うとこれは違います。学校に行かない選択をした自分を認めたい気持ちが強いのです。その一方で学校に行かないことで自分が否定されているのではないか?という思いをもっています。そして、何よりも自分自身が自分を責めています。この自責はとても辛いです。ここを通らずに不登校をすることはほぼありません。ただ、このプロセスが自分が自分であっていいという自分の存在に対する肯定感をもたらしてくれます。この辺りは丁寧に話を聴くことで解きほぐすことができます。解きほぐされた先にあるのは、自分を認めたいという強い自己肯定に対する願望です。ここに気づけたらネガティブな雰囲気を払しょくすることができます。

2 精神的な強さ

上記の項目にも書きましたが、不登校しているお子さんは自責の念が強いです。まじめで、本当は学校に行くべきなのに、それができない自分、みんなが当たり前にできていることができていない自分を無能な人間だと勘違いしています。

決してそんなことはないのですが、他人の言うこと以上に、学校に行っていないという事実が自信を責めさせます。これを毎日やっています。学校に行くと、忙しさにかまけてこんなに自分を責めることはありません。

毎日自分を責めてはへこみ、疲れるという日々を過ごします。時に死にたい気持ちにもなります。そういうことを夢想しだすとより暗い気持ちになってしまいます。

ここに他人の視点を加えます。医者や学校の先生、カウンセラーなどが入ってきて、全く違う考え方をすると目が開かれたように責めることを辞めてしまうことさえあります。または、卒業する、退学するなど「不登校」という状況を何らかの形で終えるとこの日々は終わります。この自責の日々を通り抜けたお子さんの精神力は強く、タフなメンタルを創ります。同時に、自責をもたらしそうな状況を回避する知恵も身につきます。自責はいつか終わります。その時に鍛えられた精神力を得ています。

3 これからの生き方への真剣な問い

不登校して得られる最大のプラス要因がこれです。自分の人生を問うのです。

生きている意味、自分の存在価値、これからの生き方・・・答えの出ないこの問いは誰も答えてくれず、一人で悩むしかない。そして、一人で答えを出すにはあまりにも材料が少なすぎる。そういう中で自責のサイクルに入っていきます。

ただ、生き方を考えているとその問いに対して考える機会が増えるので、アンテナが張られます。結果として自分の興味関心や生き方に影響する情報をキャッチする力が鋭くなります。逆に「これは違う」と棄却できる力も身につきます。自己が確立され、精神的にタフになるとこの真剣な問いにも向き合うことができます。

不登校のお子さんの最大の悩みは進路のことだというのは私の経験から出ていることです。ここさえ解決する、つまり本人が進みたい道を見いだしてくれれば、学力も受験も頑張れます。1人で見いだすことができる場合もありますが、ここでの寄り添いこそ、必要なことでカウンセラーの力が必要になるところであると確信しています。

4 自分と向き合う力

不登校していると話し相手がいません。声には出さなくても人は会話をしています。それが自分自身です。話し相手がいないと自ずと自分と会話する時間が増えます。これが自分と向かう力です。上述の1~3を経ることで意図せずに身につくる力です。

自分と向き合う力は自分をメタ化してとらえる力となります。これはリフレクションする力とも言い換えられます。リフレクションは自分の良いところ、悪いところを改めて見直すことで、次の成長に活かすことができます。この力は客観的で、理性的なものの見方を育みます。特に不登校しているお子さんは感受性が強く、このあたりの感性がするどく、大人が驚くような本質的な話をすることもあります。

ただ、不登校しているお子さんが一人で考えているとネガティブな面にばかり目が行きます。これが過ぎると、うつ病になる恐れもあります。ですから、別の視点を入れて、思考の方向性を変えていく作用が必要になります。

不登校は損ばかりしているわけではない

不登校で得ているものは、社会に出て働く際に、求められる精神力につながるものばかりです。同時に、学校での勉強だけでは得難い、人に対する視点を多用に持つ機会でもあります。不登校しないとこれらが得られないわけではありません。ただ、不登校しているお子さんに関わってきた結果、こういう力をもって、私のもとを巣立っているということを感じています。ここで必要なのは、第三者の介入です。詳しい事情を知らない第三者が話をすることで、今の自分が置かれている状況を冷静に見つめることから始まります。親御さんでもできますが、多くの場合は一緒にネガティブになっている場合がおおく、子どもに関わる心のゆとりがないという場合も珍しくありません。

不登校を親御さんだけで解決するのは荷が重いことであると思います。人の手を借りることで解決に向かうことはたくさんあります。親御さんが抱えている重荷を引き受けるのが私の仕事だと考えております。

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